■社会の宝

傍聴席からは、大勢の人々の視線が、監禁容疑の被告人となった母親の背中に向けられている。検察官や弁護人から質問が繰り返されることで、これまで夫婦だけの極秘事項だった児童虐待の実態が、少しずつ明るみに出てきたのである。

「あなたにとって、息子さんはどんな存在だったんですか?」

法廷の中央、一段と高い位置に座る裁判官が、淡々とした口調で問いかけた。

母親は、細い声で「大切な存在でした」と答えた。

「大事な存在を、クローゼットに3時間以上も監禁して、自分だけが出かけますか? それはもう、しつけとは言えませんよね。子どもは、あなたの所有物ですか? 子どもって、社会全体の宝でしょ?」

裁判官の厳しい指摘が、法廷の壁面に響いて消えた。母親がすすり泣く声も聞こえてくる。

「私自身も、自宅では母親としての務めを果たしていますので、この裁判を通じて、母親としてのあり方を改めて考えさせられました。あなたには、夫以外の人からの注意を聞き入れる能力が欠けていたのではありませんか。そのことについて、ゆっくり考えてもらえますか」

被告人は「はい」とひとこと言い、小さく頷くのが精一杯だった。

■判決を言いわたすだけではない、裁判官の「説諭」の役割

いったん閉廷し、のちの判決公判で、壇上の裁判官は「被告人は、人の親としての自覚や資質に欠け、息子を世話する人が、自宅の中で自分の他にいないことを知りながら、外出しており、母親の育児放棄として言語道断の犯行である」と、判決理由の中で厳しく非難した。

その一方で「しかし、まだ20代で若く、被告人なりに反省の弁を述べている」として、懲役刑に執行猶予を付けたのである。

* * *

この母親は、旦那の悪い影響さえ受けなければ、新たに心を入れ替えて、きっと立ち直ることができると、裁判官は判断したに違いない。今なお、大切に育てていかなければならない新生児もいる。このタイミングで母を刑務所内で服役させるのは、その赤ちゃんのためにもよくないと判断したと考えられる。

これからは死亡した息子に対して冥福を祈り、取り返しの付かない結果と向き合いながら、旦那と出会う前の「普通の子育て」に改めて取り組んでいけるはずだと、同じ母として直感したのだろう。

そして、裁判官による「子どもは社会全体の宝でしょ」との説諭は、少子化が続く現代の世の中にも、強く共鳴する一言となった。

※本記事の裁判の情報は、著者自身の裁判傍聴記録のほか、新聞などによる取材記事を参照させて頂いております。また事件の事実関係において、裁判の証拠などで断片的にしか判明していない部分につき、説明を円滑に進める便宜上、その間隙の一部を脚色によって埋めて均している箇所もあります。ご了承ください。

取材・文/長嶺超輝(ながみね・まさき)
フリーランスライター、出版コンサルタント。1975年、長崎生まれ。九州大学法学部卒。大学時代の恩師に勧められて弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫し、断念して上京。30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の刊行をきっかけに、記事連載や原稿の法律監修など、ライターとしての活動を本格的に行うようになる。裁判の傍聴取材は過去に3000件以上。一方で、全国で本を出したいと望む方々を、出版社の編集者と繋げる出版支援活動を精力的に続けている。

『裁判長の沁みる説諭』(長嶺超輝著、河出書房新社)

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