文/鈴木珠美
正しいドライビングポジションは、安全運転のためには当然必要なことだけど、違う観点から言えば、正しいドライビングポジションは、傍目から見て美しい。前にぎゅぅっと詰まったポジションをとっていると、ハンドルを回しにくくなったり、ペダル操作にアラが出て、安全面を削ぐことになるので修正したほうがいい。と同時に見た目だけのことをいえば、見た目に余裕が無く、窮屈に見えて美しくない。シートの背を倒し過ぎている人も、見た目的に上品とはいえない。もちろん、ハンドルやペダル操作をするときに遅れがでるはずなので危険もともなう。正しいドライビングポジションをとっていると、見た目的にも大人の余裕を感じる。自然体な雰囲気がとても美しく見える。
運転中、適宜、会話を楽しみながらも、運転が乱れない人は美しい。
同乗者と会話しながらも、目線は前方で、サイドミラー、ルームミラーを適宜確認して周囲の状況を把握し、運転も乱れない人は美しい。反対に会話に夢中になって運転が乱れる人もいる。会話していた助手席側の人間にももちろん非はあるので、運転の妨げになるのなら会話は辞めなくてはならない。されど、スマートに会話しながらも運転が乱れない運転力があると、それはそのまま大人の余裕に見えて美しいのだ。
道を間違えたとき、慌てない人は美しい。
右に曲がる道を通り過ぎてしまったとき、降りるインターを見逃したとき……。慌てずにスムーズにリカバリー出来る人は美しい。焦って、運転があたふたしてしまうのは同乗者や周囲の車にも不安を与えてしまうもの。なかには同乗者に八つ当たりする運転者もいるようだが、それは興ざめ。「間違えた、ごめんね」と言葉を添えて、スマートにリカバリーしている姿は美しい。
自由に楽しんでいる人は美しい。
目的地を決めて、安全運転で移動時間を楽しみ、目的地へ到着。ふいの思いつきで寄り道。臨機応変に車を自由に操っている人は美しい。車の運転はいろいろな力量を試される。安全に走るだけでなく、行きたい場所へ行くための行動力、判断力、そして移動時間は周囲へのおもいやり。車の運転というものは、相当な大人力が問われる。そして車といっしょに自由を謳歌している姿はとても美しい。
助手席での過ごし方も美しい人は光る。
助手席への座り方とドアの締め方を心得ている人は美しい。
安全確認をしてからドアを開け、シートにお尻から座り、靴をドアのふちに当てないように気をつけながら両脚をそろえて車に乗り込む。車のドアは一度近くに引き寄せてから少し強くドアを引き、丁寧に締める。ドアの締め方ひとつで、車の乗り方がわかっているかどうかが一目瞭然。たまに勢いをつけてドアを遠くからバタンッ!!と締める方がいるが、それは車にも車のオーナーに対しても優しくない。かといって、弱々しく締めると半ドアになる。車を所有していない人にとっては、車のドアを締めるコツはなかなか掴みにくいとは思うが、習得すれば上品な音とともにパタンと美しく締めることができる。車に乗り込む一連の所作が美しいと運転者は心が弾む。
そして助手席に座る方は、移動中の会話を楽しんだほうがいい。また目的地の近くで駐車場を探すときなどは、運転者任せにせずにいっしょに探す。自分から高速代やガソリン代のことを気にする発言や、家路にたどり着いたら車を出してくれたことにお礼を言える人もまた美しい。また必ずいっしょにドライブに行きたくなる人だ。
文・鈴木珠美
カーライフアドバイザー&ヨガ講師。出版社を経て車、健康な体と心を作るための企画編集執筆、ワークショップなどを行っている。女性のための車生活マガジン「beecar(ビーカー)https://www.beecar.jp/ 」運営。