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組頭の相棒は洋犬ハチ|大型犬を連れ歩いた江戸の火消「は組」の新吉

取材・文/柿川鮎子 写真/木村圭司

歌川廣(広)重作「江戸乃華」下(国立国会図書館アーカイブズ)

歌川廣(広)重作「江戸乃華」上(国立国会図書館アーカイブズ)

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたとおり、江戸の町は火事が多く、鎮火するための火消たちが大活躍していました。火消のリーダーである組頭(または頭)は、与力、力士とともに「江戸の三男(さんおとこ)」と呼ばれ、特に女性の人気を集めました。

「は組」の新吉と呼ばれる火消はハチ(八)という洋犬(唐犬)を飼っていました。新吉はハチを可愛がり、亡くなった後、東京都墨田区両国の回向(えこう)院に犬の墓をつくり、手厚く葬りました。

墓に刻まれていた文字は、「唐犬八之塚 施主は組新吉 慶応二丙寅(1866年)」です。文字とともに大きく犬の姿が彫られています。すらっとした体躯と長い尾をもち、細長いマズルをした、グレイハウンドに似た洋犬です。

まつげがぱっちり生えていて、ちょっと舌を出しています

まつげがぱっちり生えていて、ちょっと舌を出しています

■火消の相棒は大型の洋犬

火消と大型の洋犬というのは、絵になる姿です。火事の類焼を防ぐために家を壊して回るため、火消は筋肉質な肉体をもっていました。新吉もきっと立派な体躯の持ち主だったはず。その相棒が、当時はめったに見られない大型の洋犬ですから、江戸の人々は「一人と一頭」に驚き、話題になったことでしょう。

江戸時代、犬は里犬と呼ばれ、特定の飼い主がいたわけではなく、地域に住み着いた放浪犬でした。そんな時代に、新吉とハチは飼い犬と主人の関係を築き、大切に飼育されていたのです。当時は犬をリードに繋いで歩く習慣はなかったので、ハチはご主人の新吉といっしょに、自由に江戸の町を闊歩することができました。

■ハチは新吉がしつけた日本初の使役犬だった?

火消の若者は、他の組と派手なケンカをするなど、血気盛んでした。ケンカで死傷者が出たので、集まって盛大な手打式を行った、という記録が残っています。こうした荒くれ者の多い火消の中で、なかなか手に入れることができなかった洋犬を連れて歩く新吉は、組頭クラスのカリスマ性の持ち主だったと考えられます。

歌川廣(広)重作「江戸乃華」下(国立国会図書館アーカイブズ)廣重は元火消だったので火事の絵は得意だった

歌川廣(広)重作「江戸乃華」下(国立国会図書館アーカイブズ)廣重は元火消だったので火事の絵は得意だった

もしかするとハチは新吉の指示に従って、何らかの役に立っていたかもしれません。火事の現場で、残された子供を救ったり、煙をいちはやく察知して主人に知らせたのではないか、日本初の使役犬では?などと、ハチについて、楽しく妄想してしまいます。

こうした妄想には根拠もあります。ハチの墓は回向院という火消にとっては意味のあるお寺に埋葬されたからです。江戸の火事のなかでも、明暦の大火(1657年3月2~4日)の被害は特に酷く、約10万人もの江戸市民が犠牲になりました。幕府はその慰霊のために回向院を建立しました。

新吉が回向院に愛犬の墓をつくりたいと願っても、幕府がつくった格式のある寺ですから、そう簡単に許可したとは思えません。ハチの墓をつくるには「人助けをした」「火消の役に立った」というような、寺を納得させる、それなりの理由が必要だったはずです。

新吉が火消として絶大な権力をもっていて、回向院に愛犬の墓を無理やりつくった、というならば、新吉自身の記録が残っているはず。しかし、新吉という名前は、ハチの墓に刻まれているだけで、火消の資料にも掲載されていません。履歴や詳細は未だに不明です。

鼠小僧の隣にある猫塚はガラスケースに鎮座している

鼠小僧の隣にある猫塚はガラスケースに鎮座している

回向院には猫塚や小鳥塚など、動物の古い塚が多く建立されていますが、生前の姿は彫られていません。ハチの塚は横74㎝、高さ87㎝と小ぶりですが、大型犬らしく全体的に大きく犬の姿を描いているのが特徴です。

多くの人がその姿を記憶にとどめるために、絵を残したとすると、ハチは人々の心に残るような活躍をしたと考えるのが自然です。

150年以上たった今でも、美しく利口な洋犬と新吉の幸せな関係が、しみじみ伝わってくるようなハチの塚は、回向院の奥、鼠小僧の墓の裏にひっそりと建てられています。猫塚が立派なガラスケースに入っているのに比べると、あつかいに差があるような気がするのは、愛犬家の僻みでしょうか。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

写真/木村圭司

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