シャンパンの泡は会社員の人生と重なる

60歳で定年退職し、別のことをしようと思ったのは、後輩女性の影響も大きかった。

「ご主人も大きなお子さんもいて、時々可愛いところもある人で、人としても尊敬していました。彼女はウェブ制作会社を経営しており、お金も時間もあった。よく一緒に遊びに行っていたのに、定年になったらパッタリ声がかからなくなったんです」

その女性は、「大企業に勤務している雅史さんと繋がっていれば、いずれ仕事が来るかも」という下心もあったのだろう。

「それは絶対にない。それなら、僕の部下を連れてこいとか言うはずなんですよ。僕個人と気が合うと思ってくれたから、声をかけてくれた。定年で自由になれば、彼女の企画に参加することができたのに、誘いが来なくなるなんて」

雅史さんは“男”を出すタイプではないので、セクハラをしている可能性は薄い。女性も結婚しており社会人の娘がいる。恋愛がらみではなさそうだ。

「彼女の会社は常に人手不足だった。定年になったら、顧問になってあげてもいいと思っていたのに、どういうことかと。彼女は大して深く考えず、あっさり決めてしまうので危なっかしい。大企業に勤務するご主人が、なぜ手綱をつけていないのかと思うことは何度もありました。でもこれ以上連絡するとストーカーみたいになるので、やめました。今はSNSを開いてもいません」

60歳で定年退職した日のことを雅史さんは「ホッとした。強烈な日差しから日陰に入り、人生全体が一息ついたような気分」と表現した。

「出世できなかった同期と3人で、ウチに集まって秘蔵のシャンパンを抜いたんです。安いグラスの底から上がる気泡を見て、同期が“俺たちの人生みたいだね”と。注いだ直後の泡は輝いて勢いよく上がっていくけれど、すぐに数が減って力尽きる。泡同士が楽しそうに輝き、交差しているのは、ほんの一瞬。あとは強い泡だけが表面までいく。まさに会社員の人生ではないかと」

雅史さんのほか2名は家族がいるので雇用延長して働くと言い、家族が待つ家へと帰っていった。

「僕も何かしようと思いながら毎日を過ごして丸2年。旅行も映画も一緒に行ってくれる人がいなければ、体は動かないんですよ。地元の繋がりもありますが、ここまで離れてしまうと、もはや異国。数年で本当の一人になってしまうので、模索中です」

母校の後輩の区議会議員や都議会議員の後援活動も始めたという。雅史さんは定年後、ボランティア活動やスナック通いをしてみたが、「人のレベルが違いすぎ」て、長続きしなかった。まだどこか本人の中に現役時代に培った差別意識のようなものがある。

そこを乗り越えなくては何もならないとはわかっているけれど、プライドが邪魔をする。ただ、このままいけば孤独が待っている。定年後の第二のキャリアを模索し、歩くうちに、きっとそれは乗り越えられるだろう。

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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