血が繋がらない息子から「ハヤシライス、作って」と
良一さんには、実子はいない。30歳のときに結婚した妻の連れ子(当時・6歳)を実の子供のように育ててきた。
「毎日一緒にいて、同じものを食べ、“お父さん”と呼ばれていたら、数年で本当の親子になる。カミさんの前のダンナが暴力男だったこともあり、息子は最初こそビクビクしていたけれど、僕が手を上げないことがわかるとすぐ慣れた。息子もカミさんの方が怖いし、成績や小遣いの使い方に厳しいから、僕の方に甘えていたよ」
息子が通う小学校では、保護者が放課後、校庭の見守り当番を持ち回りで行っていた。良一さんが当番に行くと、遠くで遊んでいた息子が存在に気付き「お父さん!」とたちまち笑顔になり、走ってきたことが忘れられないという。
「あのときに、“この子は僕の息子だ”と思ったんです。もちろん憎たらしいときもありましたし、反抗期もありました。学費が大変で“困ったな”と思ったこともあったけれど、どんなときも息子が幸せでいてほしいから頑張れた。そんな息子は、今やすっかり頭が薄い50代のおっさん。でも、我が子だから可愛いんですよ」
息子は現在、独身だが幸せそうに生活しているという。
「理化学系の大学を出て、大手企業に勤務しています。会社の独身寮の主みたいになって、それが廃止になってからは、都内のボロアパートを借りて住んでいます。社内外に友達がたくさんいて、鉄道で旅したり、台湾や香港に何度も行ったりね。あとは、180カ国の料理を作って世界一周するみたいな食事会を仲間内でやっていて楽しそうなんですよ。僕の背中を見ながら育ったから、料理や食べ物が好きになってくれたのかな、って」
息子は4年前に、独身同士で老後を助け合うためにと、千葉県内の辺鄙なところに築50年の家を購入した。
「それを週末にコツコツ修繕し続けて、去年やっとお披露目できるってことで、来てほしいと。そこには、息子の友人とその家族が30人近く来てバーベキューをするという。お披露目会の2週間前に、息子から“お父さんのハヤシライスは世界一美味しいからさ〜。作ってよ”っておだてられたんです。5人分くらいかなと思って、いいよと答えたら30人分だと(笑)。でも、可愛い息子の頼みです。腕も感覚もなまっているけれど、前の日から泊まり込んで、なんとか作りました。借りてきた大鍋を使って、家庭用コンロだから、玉ねぎを炒めるのに1時間以上かかる。これは70代にはつらい。でも、そこにいた人が“おいしい!”って食べてくれて、うれしかった」
小学生の子供が「ウチのパパとママでも作れるの?」と良一さんのところに聞きに来た。すると近くにいた息子は「これはプロの味だから、できないよ」と言った。
「そのときに、ニヤニヤしちゃった。“息子よ、わかってるじゃねえか”って。あのハヤシライスが最後の振る舞い料理になるんだな〜とは思っています。だってもう、体力がないからね。息子はいい機会をくれました」
また、息子はその秘密基地のような別宅の名称を、かつて経営していた洋食屋名からつけたという。
「表札に懐かしい名前がローマ字で書かれていて、びっくりしちゃった。僕の人生をちゃんと見ていてくれたんだな、って」
親の人生や重ねてきたことを受け止めるだけでも、親孝行だ。息子はさらにそれを未来に繋いだのだ。親のこれまでのキャリアをひとまず受け取る、というのもまた親孝行なのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。