妻の最後の言葉を支えに生きる

数か月後、申し込みをしていた特養から、空きが出たと連絡が来た。それは、もう美佐子さんが自宅に戻ってこれないことを意味していた。

「息つく間もないくらい、いろんなことが起きました。私が胃がんを患って3年。退院時の体重は52キロほどでしたが、妻が入院したときには48キロにまで減っていました。妻の介護に昼夜かかわらず手がかかるようになり、かなりの負担になっていたのでしょう。そのときは介護に没頭していたので、泥沼にはまっていくのがわからなかったのだと思います」

美佐子さんが、最後に言ってくれた言葉、「お父さん、ありがとうな」――長い入院生活と施設での生活がはじまる直前だった。

「あれ以上の会話をすることは、これから先もうないと思いますが、あの言葉が、私を支えてくれる気がします」

北村さんの次女がこんなことを言ってくれた。

「お母さんは、お父さんや家族に対して、十分なことをしてもらったから、これ以上はもういいよという念を送ったんだろうと思う」と。

この言葉を聞いて、救われる思いがしたと北村さんは言う。

美佐子さんが重篤な体となったことと引き換えのように、母の末子さんは奇跡的に命を長らえた。今はすっかり元気になって、再び北村さんの家事を助けてくれるようになった。

「妻の念が私や子どもたちを救ってくれたと思って、妻に感謝するしかありません」

妻の不在。やりきれない思いに襲われる

無事、美佐子さんの施設入所は済んだ。病院から施設までの間、自宅にも寄ってもらい、家族とも会うことができた。これで「山をひとつ越えた」と安どしたものの、喪失感は大きいという。離れ離れになって数か月経つ今も、たびたびやりきれない思いが襲ってくる。

身代わりになってくれた美佐子さんは施設に入り、口から食事を摂ることもできないでいる。北村さんは、自宅にはいない美佐子さんの分も食事をつくり、二人分の食事を一人で食べているという。

「そのおかげか、体重は3キロ増えて、体力もついてきました」

そう言いつつも、美佐子さんの写真や思い出のあるものを見ると胸が締め付けられ、涙があふれてくる。

「妻の分の食事を食べるたびに、妻はもう口から食べられないんだと思います。昨年の今ごろは平穏な日々を過ごしていたのに、とも。水面に漂っていた水草も、突然の洪水にはどうすることもできない。いくら考えても、現状が良くなることはないのです」

最近、美佐子さんが認知症の症状が出はじめたころ、まだ仕事をしていたときのメモが見つかった。

「忘れないようにと、何度も漢字を書いては見返していたのでしょう。手帳のふちが傷んでいました」

自分がおかしいことに戸惑っていたのだろうとわかって、たとえようのない悲しみがこみあげてきた。

いつまでもメソメソしてはいけないと思いながらも、なかなか割り切れない。周りの人は「がんばれ」と励ましてくれるが、これ以上何をがんばればよいのかと返したくなる。

「今はただ、面会に行って妻の顔を見ることを励みに、妻に感謝するだけです」

「ありがとうな」と。

取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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