「命を燃やしている」という感覚がない
役職定年を機に、肩書は部長からスーパーバイザーになった。加えて仕事の責任と決定権もなくなった。
「営業の統括や管理、後進の育成が主な業務になりました。仕事こそあっても、会社に貢献している、命を燃やしているという実感はない。3か月くらいはうつ状態だったけれど、そこから立ち上がるときに、見えていた景色が変わった。それまで、“これだけ販路を開拓し、数字も出したのに、役員になれなかった”と思っていたけれど、その気持ちが薄くなった。なぜなら、会社が求めていたのは、がむしゃらに仕事をすることではないと気付いたから」
憲明さんはいわゆる“どぶ板営業”を続けてきた。それも大切だが、それでは次世代に繋いでいけない。管理職試験も研修も優秀な成績で突破し、その過程で上司から問題を投げかけられることはあっても、目の前の顧客と数字ばかりを見ていた。
「会社は私の営業経験を踏まえ、自走可能なビジネスモデルや管理システムの構築を求めていた。そこから目を背けていたんです。とはいえ、自分がサプライチェーン(原料調達、製造、在庫管理、物流、販売などを通じ消費者の手元に届くまでの流れ)を分析し、問題点をあぶり出し、ビジネスを立ち上げるなんて、絶対に無理だったけど」
仕事も接待もないから、定時に帰る日々が始まった。
「だから、なんか気が抜けちゃって。明るいうちに家に帰ったときの絶望感。仕事以外に趣味がないから、ボーっとテレビを見る。野球もサッカーも興味がないし、お笑い番組も落語も全く笑えない。抜け殻みたいになっていた。それから2年くらいかかりましたが、会社に依存していた自分に気付いたんです」
家族や友人、趣味の仲間がいれば気もまぎれるがそれもいない。
「55歳からでは結婚もできない。子供が生まれるわけでもないし。それにこの年から他人と一緒に住むのも厳しい。付き合っている女性こそいるけれど、彼女も亡くなった旦那さんの遺産や子供の問題がある。若いころから一緒に苦労して、いろんなことを乗り越えた関係ではないからね」
このままでは孤独の波に飲み込まれると思ったときに、投資を始めたのだという。
「音楽、スポーツ、釣り、観劇などハマれるものを見つけようとしたけれど、何もかもがつまらない。そのときに、経済評論家・山崎元さんの本を読み、何とかネット証券で口座を開設して、ネット銀行の口座を作ってとやっていくうちに“おもしろいな”と。私はデジタルが本当に苦手だったので、絶対にできないと思っていたことができるようになるのは、意外と楽しい。これは営業と似ていると」
【資産を増やすのではなく、自分の世界を広げていく感覚があった……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。