定年退職の年齢が上がっている。かつては60歳だったが高齢者雇用安定法が2021年に改正され、企業に60歳未満の定年を禁止し、65歳までの雇用確保措置(「定年制の廃止」・「定年の引上げ」・「継続雇用制度の導入」のいずれか)が義務付けられた。また、65歳から70歳までの就業機会の確保が努力義務になった。
定年退職にまつわる、厚生労働省の最新データ『高年齢者雇用状況等報告』(2022年発表)をひもとくと、65歳までの高年齢者雇用確保措置を実施済みの企業は99.9%。70歳までの高年齢者就業確保措置を実施している企業は27.9%に過ぎなかった。
人生100年と言われている時代、定年後の長い人生をどのように過ごせばいいのか、さまざまな定年後の人生を歩く人々にインタビューを重ねていく。
「家の住所がわからないんです」
東京都23区郊外に住む洋一さん(65歳)は、5年前に離婚した。5歳年下の妻は20年以上も準備して、何もかもをもぎ取って行ったという。
「どこから話していいのかわからないのですが、定年退職する年に、結婚30年の妻(当時55歳)から離婚届を突き付けられ、娘(当時22歳)とともに出て行ってしまったんです。私が離婚届に驚いていると、彼女たちから“オマエのせいで人生が台無しになったんだよ!”と言われて、離婚に応じました。弁護士を通じて連絡はできるのですが、今はどこに住んでいるかわかりません。毎月の給料を全額妻に渡して、小遣いで生活していた私がなぜ、そこまでされなくてはならないのか」
洋一さんのキャリアは、有名国立大学を卒業し、国家公務員1種に合格。ある省庁に採用され、青少年教育部門の仕事を続けた。堅実に仕事ができ、聡明な洋一さんは、出世の階段を登った。住まいは都心部にある家賃が格安の官舎だった。ここで相当額の貯金もできたという。
「貯金の大部分を妻に持っていかれました。官舎に住んでいたのも、定年後は、家族で三浦半島に移住しようと思っていたから。海を見ながら暮らしたかったし、田舎育ちの妻は山や海に心が安らぐと言っていました。土地の選定もしていたのに、まさかこんなことになるなんて」
公務員は定年とともに官舎を出なければならない。引っ越し先として洋一さんが選んだのは実家しかなかった。現在、83歳の父と2人で暮らしているという。
「父も資産を持っているので、お金に困ることはないのですが、なんというかつまらないものですよ。何もすることがないし、どこに行っても場違いな気がする。友達も少ないので、これではダメだと古地図の勉強会に入りました」
筆者が洋一さんと出会ったのは、この古地図の勉強会だった。筋肉質で背が高く、清楚な風采の紳士だと思っていたが、眼の光がただものではないと感じる瞬間があり、話をするようになったのだ。ただ、2年以上、全く自分のことを話さず、警戒心が強いとは感じていた。
「職業上、他人はもちろん、家族も信じていませんでした。何か質問されると、私のことを詮索していると思ってしまうのは、今も抜けていません。定年してしまえば、ただの人なのにね。それどころか、生活の全てを妻に任せていたので、自分の住所もわからなかったんです」
「自分の住所がわからなかった」とは、仕事一筋の男性に多いセリフだ。行政の手続き書類や、子供の学校の書類などを妻任せにしていると、自分の住所を書く機会が少ないため、暗記していない。家族の生年月日も覚えていないため、妻が入院した時などに、とっさに出てこないのだ。
洋一さんは転居の手続きの時に、何十年も住んだ家の住所がわからなかったという。
【6歳のときに、離婚した母のように妻をしないために……次のページに続きます】