2023年10月、調査会社・東京商工リサーチは「2023年の飲食業倒産は年間の過去最多を更新する可能性が高まっている」と発表。その背景には、2023年(1~8月)の飲食業の倒産件数が、569件(前年同期比82.3%増)に達したことがある。また、同社のアンケート調査によると、売上がコロナ以前の水準に戻らない飲食業者は72.4%に達し、人手不足に伴う人件費や食材・光熱費の上昇などランニングコストの負担は増えている。しかし、飲食業の71.4%が「まったく価格転嫁できていない」と回答。客足は伸びないのに、負担が増しているという飲食店の現状が明らかになった。
洋子さん(67歳)は、「夫が定年退職して、“濡れ落ち葉”になり、細々と経営していた喫茶店を閉めました」と語る。
ネットに一切出ることはないレトロ喫茶を30年経営
洋子さんは東京都心のはずれにある、小さなキャンパスがある街の一角で、喫茶店を経営していた。喫茶店を開店したのは35歳の頃だった。きっかけは、それより3年前に、海苔とお茶店を経営していた実家が再開発の区画になったことだったという。
「かつて、贈答品として選ばれていた海苔やお茶は、そのころには下火になっていました。そもそも、曾祖父が大正期に店を開いたのは、地元の千葉産の海苔を売るという志があったから。でも高度経済成長期で、東京湾は工業化の波に呑まれ、海苔の養殖がおこなわれなくなっていた。千葉産の海苔がなければ、苦労して店を続ける必要はない。両親は再開発を機に、店を閉めようとしたんです」
そのとき、両親は等価交換でマンションの部屋2室と、1階のテナントを得る。当時、洋子さんは専業主婦で、兄はサラリーマンで海外にいた。父はテナントを人に貸そうとしたが、いざ貸すとなると「ウチの屋号を店名に使って欲しい」とか、「居酒屋やラーメン店などの重飲食店はダメだ」などの難癖をつけた。
「たぶん、自分の代でのれんを降ろしたくなかったんでしょうね。そのまま1年ほど放置していたのですが、管理会社からテナントを入れてくれないと困ると言われて、私に白羽の矢が立ったのです」
父は洋子さんに何らかの商売をしてほしいと言ってきた。短大を出てから、大手メーカーに入社し同じ年の夫と社内結婚。寿退社して専業主婦をしていた洋子さんにとって晴天の霹靂だった。
「海苔を仕入れて売るのは、ひいおじいちゃんの代から築いてきた信用があってこそ。父は家賃は要らないので、屋号を掲げて商売をやってほしいという。そこで、喫茶店を始めることにしたのです」
喫茶店にしたのは、商売の負担が軽いから。当時は調理を伴わない簡単なフードメニューとドリンクの提供ができる「喫茶店営業許可証」(2021年5月末に廃止)があり、それを取るのは「飲食店営業許可証」よりも簡単だった。
「内装と配管の施工費用は父が出すと言いました。当時、息子が小学校に入ったばかりで親の手を離れていた。開業にあたり、友人の喫茶店で数か月働き、ノウハウを学びました。ドリンクはコーヒー、紅茶、緑茶、ココア、アイスミルク、オレンジジュース、コーラのみにし、フードは仕入れたケーキとトーストのみでした」
洋子さんの店の付近には、小規模の大学のキャンパスと、中堅規模のメーカーがあり、喫茶店はそれなりに繁盛していた。
「息子を学校に送ったあと8時30分に開店、息子が帰宅する17時30分に閉店。土日は休みにしていました。家族を優先したかったのと、そんなに頑張って仕事をするところを人に見せたくなかったんです」
【生活に困っているから、喫茶店をやっているの?……次のページに続きます】