取材・文/坂口鈴香
中澤真理さん(仮名・57)は、90代の両親の介護に加え、母の富代さん(仮名・92)の妹である叔母に先立たれた叔父のケアをし、さらに末期がんでホスピスに入っていたもう一人の叔母、宣子さん(仮名)を見送った。骨折して入院中だった98歳の父、要さん(仮名)は、もう自宅での生活は無理だと判断し、両親の年金をやりくりして有料老人ホームに入居させることができた。
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見事な神様の采配
亡くなった伯母、宣子さんは独身で一人暮らしだったので、マンションや家財道具の処分という大仕事が中澤さん一人の肩にのしかかった。
宣子さんは、高価な宝石や着物をたくさん所有していたという。中澤さんは、叔母の残した宝石や着物を処分するのが忍び難く、出張買い取りサービスを調べた。
「いろんな会社を比べて初めて利用してみたら、ものすごくいい方に出会えて、60万円くらいの現金にしてもらえました。叔母が払ったお金に比べれば全然見合うものではありませんが、宝石も着物も一人で鑑定して現金を置いて帰るすごい仕事があるものだと大変勉強になりました。担当者によるのかもしれませんが、本当におすすめです」
そして買い取りサービスの良い担当者に出会えたことが、中澤さんの喪失感を埋めることにもつながった。
「叔母のものを丁寧に見てもらい、生かせるだけ生かしていただけたら、叔母の持ち物と家の片付けに全く心残りがない、と気持ちの整理がつきました」
気持ちの整理がついたせいか、宣子さんのマンションもたった一晩で売れたという。
「叔母のものの鑑定をしてもらったその日の午後に、不動産屋さんが遺品整理の会社の方と一緒に来て、残りの片付けの見積もりとマンションの写真撮影をしてくれました。その数日後に売り出しのサイトアップ、翌日に遺品整理会社が全部片付けてくださっている途中に、1人目のマンション見学者が来られて、そのまま申し込み。なんとサイトアップの翌日、買い手がついたんです」
購入したのは、シングルマザーで2人の子育てを頑張る40代の女性だった。しかもキャッシュで買ってくれたのだ。
「キツネにつままれたようで、いまだに信じられません。実家のマンションは値引きしても1年かかりましたから……。ずっと1人でがんばってきた叔母が呼んだんじゃないかと、母と話しています」
縁と言っていいのか。神様の采配のようなものはあるのだと思う。
もうこれ以上何もできない
これで大団円、と言いたいところだが、この後に異変が起きた。
「さすがに自分のキャバを超えたのでしょう。精神的にも叔母を失い、父をホームに入れることになんともいえない想いもあり、涙も出なくて、軽く適応障害のような状態になりました。急に震えたり、『もうこれ以上は何にもできない。無理』という無力感に襲われたり……。こんな弱い自分もいたのか、と」
弱い、なんてとんでもない。強かったから、これだけの大仕事を一人でできたのだ。
中澤さんの言葉を聞いて思い当たることがあった。前々回の記事、「父の『老人ホーム』選びに立ちはだかる年金の壁」(https://serai.jp/living/1108295)で、中澤さんは、「感情の起伏がなくなってきた」と明かしていたが、それは中澤さんが無意識のうちに自分の心身を守ろうとしていたからではないか、ということだ。そう伝えると、こんな言葉が返ってきた。
「その通りだったと、今ではわかります。とにかく毎日、父と叔母の入院先からそれぞれかかってくる電話が怖かった。叔母はコロナにもなりホスピス転院も延びたりで、一喜一憂しないように感情の起伏がなくなっていったのでしょう」
宣子さんがホスピスに転院する際、最期についての書類を確認させられることも、中澤さんの心にダメージとなっていった。
「いざという時はどうするとか、何枚も何枚も書類が出てきて……。叔母の意思ははっきりしてたので迷いはなかったのですが、心はすっかり折れてしまいました」
一方で、宣子さんは中澤さんが驚くほどしっかりしていたという。
「叔母自身の方が完全に達観していて、『こんな患者さんを見たことがない』と医師が言うほど、叔母は見事に生き抜きました。同時に、末期がんの人が最期にどうなっていくか、ホスピスの医師から聞いていた通りになっていき、理解しながら見守ることは心の平静にすごく大事だったと思います」
それだけに、気丈だった宣子さんを見送ったあと、中澤さんはダウンしてしまったのかもしれない。
「叔母が亡くなったところから、もう私の限界を超え、自律神経がやられたというか、軽く壊れました。私は何もできない……と、鬱のような精神状態になりました。1日中、何も食べずに海外の連続ものドラマを延々と観続けていました。自分でも不思議なくらい、動けないし何も考えられない状態でした」
中澤さんは、改めて「本当に弱い、何も知らない自分を見た」と振り返る。
そして今、父の要さんは99歳、母の富代さんは93歳になった。
「父は住宅型の自由なホームなので、コロナが落ち着けば外出したり、ホームを訪ねたりすることも可能になります。早くそうなればいいなと思っています」
ところが、富代さんは中澤さんが驚くほど要さんに会いたいと言わないという。
「それもまた、娘としては複雑な心境です」
皮肉なこともある。要さんよりも、叔母に先立たれ、サービス付き高齢者住宅に入った叔父の方が一気に認知が低下したというのだ。
「要支援1だったのに、一気に要介護2になってしまいました。今の住宅は介護度が重い人向けではないので、思ったより早く別の介護付きホームに移らないといけないかもしれません」
叔父の施設は、自分で1階の食堂まで行くことができるというのが入居の条件だった。そのときの叔父の様子から、まだしばらくは大丈夫だろうと判断していたのだが、予想以上の速さで叔父の状態が低下したというわけだ。施設の選択は、かくも難しい。
中澤さんの「人生百年問題」はまだまだ続きそうだ。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。