取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、そのときに感じた率直な思いを語ってもらう。
今回お話を伺った幸子さん(仮名・40歳)は38歳のときに結婚して、現在は都内で旦那さまと暮らしています。幸子さんは初婚で、旦那さまは再婚となるそうですが、2人が最初に出会ったときには旦那さまは既婚者でした。
「私たちは不倫関係だった過去があります。夫の離婚は私と別れた数年後のことなんですが、それでも過去の事実がつきまといます。否定されたくない思いから、過去を隠すための嘘を今も重ねてしまっています。義両親にも……」
いじめられている娘に「勉強しろ」と母親は言った
幸子さんは愛知県出身で、両親と5歳上に兄のいる4人家族。真面目な父親と、社交的でご近所付き合いも上手な母親の下で育ちます。家族仲も良かったそうですが、中学生の頃のいじめが原因で母親と不仲になったと振り返ります。
「小さい頃はよく一緒に買い物に行ったり、2人で出かけたりと、どちらかというと母親にベッタリの子どもでした。母親は小学校のPTAをしたり、自治会長などをやったりと、社交的で活動的な人。私はみんなの前でハキハキと話す母親を誇りに思っていました。
でも、中学の頃に私がいじめに遭い、母親に学校に行きたくないと訴えたら、『今つまずくとロクな人生にならない』と学校に行くことを強要しました。私が受けていたいじめは直接的に何かをされるのではなく無視がメインだったので、『休み時間には勉強をして過ごせばいい』と母親は言ってきました。その1人ぼっちの休み時間が辛いのに、それを全然わかってくれなかった。
少し大きくなってから思ったのは、母親は子どもよりも世間体が大事だということ。父親もその場では慰めてはくれましたが、母親が正しいといった考えの人でまったく頼りになりませんでしたね」
中学時代を耐え抜いた幸子さんですが、高校へ進学した頃には母親とはあまり口をきかない状態だったそう。何度も話しかけてくれていた母親も数か月後には幸子さんに関心を寄せなくなります。
「中学のときは本当にずっと勉強していました。それが親の望みだったから。
高校では同じ中学の子が少ないところに進学したので友人に恵まれて、学校生活は楽しかったです。でも、逆に家での時間は苦痛でした。母親に愛想の無い返事ばかりをしていると、母親が怒り出しケンカになり、仲が険悪になる。何度もそんなことを繰り返していくうちに、母親も私に話しかけなくなりました。中学の頃に兄は大学で家を離れていたので、3人の家ではまったく会話はありませんでしたね。両親の会話する声か、テレビの音しか聞こえてきませんでした」
【さまざまな孤立を経験する中で唯一優しかった男性。次ページに続きます】