取材・文/坂口鈴香
ファイナンシャルプランナーとして、終活に力を入れて活動をしている日高了さん(仮名・54)は、がんだった父親の手術を拒否して在宅で看取り、その後認知症になった母親をサ高住に入れ、最期は病院で看取った。姉兄弟で協力しつつ、そのとき最善の方法を探っていたが、結果的には二人をまったく別の形で見送ることになった。今でもそれが両親にとってよいことだったのか自問している。というのも、父親の弟と2人の妹が独身で、介護問題は継続中だからだ。
叔父、叔母は尊敬できた両親とは対照的に、きつい性格で反発してきた。しかし、父親が亡くなって数年経ったころ、体調の悪い叔父から「病院へ連れていってほしい」と連絡が来た。日高さんは、叔父の財産を「何もしていないのにもらっちゃった」と相続するわけにはいかないと考え、叔父の世話をすることにした。
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意欲がなくなっていった叔父
叔父からは、退院後「もう来なくていい」とお役御免を言い渡されていた。ところが、今度は叔母から連絡が来た。
「『叔父が倒れた』と。入院することになったが、どうしたらいいかと言うんです」
叔父は、内臓疾患で再び入院することになった。しばらくすると退院することになったが、自宅で暮らせる状態ではなかったため、日高さんが別の病院を探して、転院させた。
「ここもしばらくすると退院を迫られたので、老人保健施設(老健)に移ることにしました。ここには1年くらいいたのですが、特別室しか空いてなかったので、月に40万円もかかりました。それで今度は有料老人ホームに移りました。老健よりは安かったのですが、それでも毎月30万円。叔父はお金はたっぷり持っているので問題ないんですが、有料老人ホームってこんなものなのかという感じでした。スタッフは悪くはないんですが、本人の意欲がどんどん落ちていくんです。家から行きやすかったので、毎週面会にも行きましたが、一歩も外に出ようとしないし、ほかの入居者と交流しようともしませんでした」
この間、兄姉は一切叔父とかかわろうとしなかった。昔から強圧的だった叔父を拒絶したままだったという。
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