取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「両親はちゃんと育ててくれたし大学まで行かせてくれました。今も交流はとっています。でも、両親と一緒にいることは少しの苦痛を伴います。大きな何かがあるわけじゃないので、縁を切る必要はないとは思っています」と語るのは、理恵さん(仮名・40歳)。彼女は現在、仕事をしながら1人暮らしをしています。今暮らす場所は実家から電車で2時間ほどの距離。今はコロナ禍ということもあり、帰省を一切していないと言います。
共働きで外食好きな両親。思い出の手作り料理はない
理恵さんは京都府出身で、両親との3人家族。小さい頃には母親はパート勤務だったものの、中学生に上がる頃には母親は正社員として再び働き始め、家では1人で過ごすことが多かったと言います。
「実家はマンションなのですが、首にぶら下げているカギでドアを開けて、1人で冷蔵庫からお菓子を漁って食べていたようなカギッ子でした。あまり覚えていないんですが、暗くなる前には母親は帰ってきてご飯の準備をしてくれていた記憶が残っています。でも、母親は料理が得意じゃなかったし、自分でも料理が好きじゃないと言っていて、近所の総菜屋さんやお弁当屋のご飯が多かったです。どちらも美味しかったから全然苦ではなかったです」
休みの日には外食することが多く、いつも両親はお酒を飲んでいて、理恵さんには退屈な時間だったそう。
「歩いて行ける距離のところに中華料理屋があったんです。でも、そこがファミリーで行くところというよりはカウンターもあってお酒とともに楽しむところで、両親はいつもお酒を飲んでいました。私はご飯を食べ終わった後も永遠と続くお酒の時間は、何もすることがなくて退屈でしたね。近所なのでいつからか先に帰るようになっていました。だって家でドラマとか見たほうが有意義な時間ですから。
小さい頃に食べた母親の料理というのが浮かばないほど、母親の手作りの料理を食べた記憶がありません。その影響か私も料理が好きではなく、今ほとんど出来あいのものばかり食べています」
父親についてはどんな印象があったのでしょうか。
「いつもは寡黙で、お酒を飲んだら陽気なおじさんって感じでしょうか。平日は帰りも遅かったし、小さい頃は2人きりになる機会があまりなかったので。どこかに出かけるときもいつも家族3人一緒でしたから」
【親から容姿を否定されて、自分に自信がない子どもだった。次ページに続きます】