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【娘のきもち】24歳のときにガンで亡くなった父。思い出すのは幼少期の厳格な姿だった~その1~

取材・文/ふじのあやこ

娘のきもち・その1

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「あの頃の厳しさにはたくさんの愛があったと、今では本当に感謝しています」と語るのは、恭子さん(仮名・37歳)。彼女は現在、大阪府で4歳、2歳と2人の息子を育てている母親です。肩までの茶髪を後ろに1つに束ね、黒目がちな大きな瞳や白い肌などその雰囲気はとてもかわいらしく、とても2人のお母さんには見えません。少し訛りのある話し方は好感を持て、人当たりの良さを感じます。

厳しく躾けられた幼少期。2人の兄からの「娘には優しい」という言葉に違和感しかなかった

恭子さんは広島県の島育ちで、両親と5歳上、3歳上に兄のいる5人家族。両親はどちらも島育ちで父方の祖父母や従妹なども同じく島内に。造船業で働く父親は昔気質で、小さい頃から厳しく躾けられたと言います。

「小さい頃に覚えていることと言えば、とにかくマナーに厳しかったことですかね。箸の持ち方から食事作法はもちろん、フォークとナイフの使い方も指導されていました。ちゃんとできなかったら頭を叩かれたりしていましたね」

父親の厳しさは中学生、高校生になっても続き、怒られることは日常茶飯事。常に厳しいイメージのあった父親ですが、2人の兄からは「娘にだけ優しい」とずっと言われていたそうです。

「当時実家のお風呂は敷地内の外にあって、薪で沸かすタイプだったんです。一度お湯が冷めてしまうと再度沸かすことが大変で。家族が一気に入ったほうが効率がいいのに、私はいつも夜更かしをしてしまい、朝風呂することが多くなっていました。朝に追い炊きしていると父が必ず怒りに来ていましたね。沸かす時にすごい大きな音が鳴るんで、それで起きてしまうみたいで(苦笑)。

私に対していつも怒っていたイメージがある父親なんですが、兄たちから言わせると私には甘かったみたいです。自分が怒られたことしか覚えていなくて、兄たちがどんな感じで怒られていたのかまったく記憶にありません。でもずっと『娘にだけ優しい』と言われていることに違和感がありましたね。どこがって(笑)」

家では常に父親の意見が最優先で母親は父親の発言に口を挟むこともなく、中立の立場。その分3人兄妹の仲は良かったそうです。

「2人の兄は、父親がサッカーの指導者の資格を持っていて、スポーツクラブでコーチをしていたこともあり、サッカーをずっとやっていました。一番上の兄はしっかり者で、二番目の兄はマイペース。サッカーでの指導の様子は知りませんが、『娘には甘い』発言はここからきているのかも。

兄同士の仲は良く、2人とも私に今も優しいです。父が仕事でいない間は兄妹でよくふざけ合って遊んでいました。3人でテレビのチャンネル権を交代制で回していたこともありました。父親が帰って来ると問答無用で父に権利が移行するんで、それまでの楽しみでしたね」

進学先がない島を離れ、兄との2人暮らしがスタート。父と疎遠にならないよう、母がつないでくれていた

長男は一度大学進学のために広島で一人暮らしを始め、大学卒業後に島で就職。次男は美容師を目指し、関西の専門学校に進学してそのまま関西で美容師として働き出します。恭子さんは高校卒業後に神戸にある短大へ進学。神戸を選んだきっかけは兄の一言だったと言います。

「島には高校より上の進学先がないんです。だから就職以外はみんな一度は島を出ることになります。私が高校生の時に一番上の兄は島に戻って、父とは違う会社ですが造船関連の仕事に就きました。二番目の兄は昔から美容師になりたかったみたいでした。私は進学したいところや行きたい地域もなかったんです。そしたら、二番目の兄が『神戸に来たら?』って誘ってくれて。両親も兄と一緒に住むんだったら安心だからと神戸行きをすんなり認めてくれました」

恭子さんは兄との神戸生活をスタートさせます。離れて暮らすようになり、母親とは密に連絡を取っていたそう。母との電話の合間に父と話す機会もあったと語ります。

「離れて暮らすようになって、母親とは些細なことでもメールや電話などで連絡を取り合うようになっていました。でも父親とは直接メールすることなんてまったくないんですよね。そんな状況をわかってか、母と電話していたら時々『お父さんにも代わろうか』と言ってくれて。父からは『学校はどうだ』みたいな会話ばかりでしたが、母がつないでくれることで全く話さなくなることはなかったですね。在学中も大型連休には帰省していましたし。

私はそのまま神戸の幼稚園で働くことになるんですが、23歳の時に父が体調を崩してから1年も経たずに亡くなってしまったことで島に帰る決断をしました」

兄と神戸での生活を続けていた恭子さんに知らされた父親の病気。「あんまり帰ってきてはダメ」と母の言葉にはある意味が隠されていた。

~その2~に続きます。】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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