親から容姿を否定されて、自分に自信がない子どもだった
子育てについても放任で何かを注意されたことはなかったそう。しかし容姿を非難されることが多かったと言います。
「私は勉強はある程度できたんですが、運動がまったくできなくて。それなのに友人に誘われて近所のサッカースクールに所属していたので、いつも生傷が絶えませんでした。ケガをして帰る度に『かわいくない顔をしているのに、傷まで作ってどうするの?』とか、ブサイク前提の発言を母親からよくされていましたね。母親は私を可愛い女の子にしたかったのか、よくフリフリ系の服を買ってきてくれたんですが、それが似合わなかったみたいで。母親からその理由は『ブサイクだから』と言われていました。小さい頃からずっとそう言われていたので、自分のことをブサイクだと思っていました。それは今もですね」
ブサイクだと自分のことを思っていた理恵さんはオシャレにも一切興味がなかったとのこと。恋愛もしようとさえ思わなったとか。
「中学生の頃まではすごく陰気な子でしたね。少しぽっちゃりもしていたし、肌もニキビとかがいっぱいできて、それを髪で隠すからさらに悪化していって。母親からお金をもらって服を買うようになってからもスーパーのワゴンセールみたいな服を一気に買って、それをいつも着ていました。性格も暗かったと思います。当時は異性にもまったく興味がなくて、中高の異性の同級生の名前なんて一人も覚えていませんね」
高校は進学校に進み、近所のファミレスでアルバイトも始めます。その頃から両親とはバラバラの生活をするようになったと振り返ります。
「部活にも入らず、暇だったんでアルバイトを始めました。そしたら当たり前ですが、お小遣いの比じゃないほどにお金が手に入るんですよね。仕事も学校と違っていろんな立場の人がいて、その人たちと交流するのも楽しかったです。私は学校終わりはもちろん、土日も朝からバイトをするようになりました。私がいないとわかると両親は週末に2人で出かけるようになり、そこからは一緒に外食することもなくなりましたね。ケンカしているわけじゃないから顔を合わせれば会話はしてはいました」
自己肯定感が育たず、親のことを否定しつつも拒めず。お金の無心を頼られていると思い込み……。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。