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【娘のきもち】転勤族の父親の“せい”で繰り返す転校。多忙な父との会話は成績表に貼られたメモだけだった~その1~

取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「元々父親は体が弱い人だった。そのことに気付いたのは私が大人になってからでした」と語るのは、有希さん(仮名・32歳)。彼女は現在、都内のメーカーで働いています。鎖骨まである少し茶色のストレートヘアに、白のスタンドカラーのブラウスにデニム地のハイウエストのタイトスカートを合わせています。小柄で、可愛らしい雰囲気のする女性です。

父親の仕事で引越しを繰り返す家族。負担をかけたくないと、いつからかわがままが言えなくなった

有希さんは千葉県の出身で、両親と、3歳上に兄がいる4人家族。電機メーカー勤務の父親と専業主婦の母親の下で育ち、小さい頃は転勤族だった父の影響で引越しばかりしていたと語ります。

「幼稚園、小学生の間に4回ほど引越しをしていました。最後の引越しは私が小学生の頃で終わったのですが、兄は中学生まで続いていたので辛かったと思います。短い時は1年もいない時があり、毎回知らない人たちの中で馴染むまでの緊張感がすごく嫌いだった。家族仲は良かったんですが、どこかで父親のせいで引越ししなくちゃいけないんだって思っていました」

最後の引越しは小学校4年生のとき。当時の有希さんは幼心ながら親にわがままを言ってはいけないと、引越しの影響でさまざまなものを諦めていたと言います。

「本当はピアノが習いたかった。それに、ペットも飼ってみたかったし、みんなが持っているような大きなおしゃれな自転車も欲しかった。でも、そんなことを両親に言ったことはありませんでした。家は一軒家になったり、マンションになったりしていたので、大きなものはダメなんだろうなって思っていたんですよね」

小さい頃から父親に怒られたことがなかった有希さんは、学生時代に反抗期もなく、勉強もできたそう。小学校の頃は父親に勉強を見てもらっていた記憶も残っているようですが、高校の進学を機に父親との会話はまったく無くなったそうです。

「専業主婦の母と、仕事であまり家にいない父。どうしても接する時間は違ってきますよね。父は週末も仕事に行くことが多かったから、一週間に顔を合わせるのは数時間ぐらい。高校生の時には何を話していいのか考えるようになってしまっていましたね。いつからか素ではなく、考えて作ったキャラで接していたような気がします。

私は転校先でバカにされたくない思いから勉強を頑張っていたんです。父には小さい頃から通信簿やテストの結果などを見せるのが義務でした。父は帰りが遅いので直接ではなく、居間のテーブルに置いて寝るような感じでしたけど、翌朝に『よく頑張りました』などのコメントが書いたメモが上に貼っているんです。褒められることは嬉しかったけど、直接言葉をかけてもらったことはあまり記憶になかった。父親も私との距離を感じていたんじゃないかなって思います」

実家から1時間のところにある有名大学に合格。父親の希望で一人暮らしをすることになり、徐々に実家とは疎遠に

有希さんは都内の有名大学を目指し、予備校に通うなど多忙な高校生活を過ごしていた時、父親が入院。父親は見舞いにくることを拒否したと言います。

「ただの過労だと、大したことないからという理由で父親はお見舞いに行くことを許してくれなかったんです。母親からも『大丈夫だから受験に集中して』と言われていました。でもそんなことをされたら余計に不安になってしまって……。その時にはすでに都内で一人暮らしをしていた兄に頼んで様子を見てきてもらったんですよ。兄から大丈夫だと聞いて初めてほっとすることができましたね」

そして、父親は一週間ほどで無事退院し、有希さんも無事大学に合格。大学は実家からも通える距離だったそうですが、父親から一人暮らしを提案されます。一人暮らしは想像以上に楽しいものとなり、大学では友人にも恵まれ、初めての彼氏もできたそう。

「実家から通うと思っていたのに、父親から『通学の時間もかかるし、一度一人で生活してみなさい』と言われたんですよ。兄も大学の時に一人暮らしを始めていたので、うちの家はそういう方針なんだなって理解しました。同じ高校の友人は一人暮らしを許してもらえない子も多かったので、自由にさせてもらえるのが一人前だと認められた気がして嬉しかったです。

家は学校近くの女性限定のアパートに決まり、4月から新生活が始まりました。大学ではテニスサークルに入って、1歳上の彼氏もできました。今まで縛られていた記憶もないし、実家が辛かった思い出もないのに、一人暮らしは解放感でいっぱいでしたね。逆に、電車で1時間ほどの実家なのに、だんだん帰ることを躊躇してしまうようになっていきました」

会話を交わさない親子関係。父親の病気さえ家族で教えてもらえなかったのは私だけだった。

~その2~に続きます。】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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