取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「小さい頃に見ていた両親の印象が今は真逆です。父親は絶対に私に『かわいそう』とは言いませんから」と語るのは、美嘉さん(仮名・36歳)。彼女は現在、都内で仕事をしながら一人暮らしをしています。

学校行事への参加や勉強を見てくれるのはいつも父親。母親のことはあまり覚えていない

美嘉さんは愛知県出身で、両親と4歳上に兄、2歳下に妹のいる5人家族。自宅で塾講師として働く父親に、専業主婦の母親の下で育ちます。

「父親は元教師だったんですが、私が小学生の頃に家の2部屋をぶち抜いたところを教室にして、個人塾を経営していました。それなりにご近所では定評があったみたいで、私も高校受験のときに父親の塾に行かされていたんですが、私のクラスだけでも10人弱の生徒がいたと思います。

私は父親の塾に行くのがすごく嫌でしたね。先生の子なのに勉強ができないと父親の顔に泥を塗ってしまうような気がして……。必死で予習をしないといけなかったし、模範生でいなければいけなかったから、学校にいる時の倍は気を張っていました」

父親は学校の成績ももちろんすべてチェック。勉強以外でも厳しく、食事中は会話さえ許されなかったと言います。

「父親はテストや通信簿のチェックの他に、連絡帳に書かれた先生からの言葉も兄妹3人分毎日チェックしていました。兄への先生からのコメントで、黙っていた小テストのことがバレてしまったことがあって、点数よりも黙っていたことを周りで見ていた私たちも震えるくらい怒られていて、そこからすべてのテストを自ら提出するようになりました(苦笑)。

勉強以外でも、父親は何かをダラダラするのがとにかく嫌いで、ご飯も黙々と食べてできるだけ早めに終わらさないといけないルールがありました。お風呂やトイレなども長居できませんでした。父親は昼間はどこかの施設に行って勉強を教えていたみたいですが、帰ってきて家にいるときは、いつも本当に息が詰まりました。家は全然寛げる場所じゃありませんでしたよ」

一方の母親のことを聞くと、「優しかったけど……」と言葉を濁します。

「母親は穏やかな人で、私たちのことを怒るのはすべて父親だったので、叱られた記憶はありません。他にも一緒に買い物に行った記憶などは薄っすら残っているんですが、本当に覚えていなくて。どこかに行くときはいつも父親も一緒だったし、勉強などを教えてくれるのも、学校行事に参加するのもいつも父親だったんですよ。父親と母親がケンカしていたところも記憶にないので、仲は悪くなかったとは思うんですが、両親と一緒にいるときに覚えているのは父親のことばかりで……」

【妹の授かり婚で対照的な両親の反応。次ページに続きます】

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