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文・晏生莉衣

アメリカを大きく二分する争いとなった大統領選挙。日本でも連日、報道が続き、アメリカの大統領選びについての理解が深まったという声も聞かれています。前回レッスンでは大統領選挙の投票権を持つ選挙人(elector)について触れましたが、12月の選挙人投票が予定通りに行われてスムーズに次期大統領が選出されるのかはまだ不透明とも言われています。さて、どうなることか、ウォッチングが続きます。そんな中、今回もアメリカの選挙を題材に、「good loser」という英語表現を取り上げたいと思います。英語を学ぶ良い機会ですから、文中では英語の記述を優先または併記していますので、どうぞ、参考にしてください。

勝ち負けより大切なこと

good loserは文字通り、「良き敗者」(グッドルーザー)という意味ですが、このgood loserの精神やそれを尊ぶ価値観は、アメリカではかねてから大切にされています。アメリカは競争を好む社会だと言われますが、アメリカの子どもたちは小さい頃から、競争で勝つことだけでなく、フェアプレイの精神や負けたときに取るべき態度についても、学校や家庭などで、様々な場面から学んでいきます。

正々堂々と力を尽くして戦って、それでも勝てなかったら、いさぎよく自分の負けを認め、相手に敬意を表して勝利をたたえる。それができるなら、試合や競争には負けても人として負けたわけではない。むしろ、そうしたことこそ勝ち負けより大切で、態度でそれを示せる人は人間として素晴らしいし、称賛に値する ― という考え方です。子どもが負けた悔しさや悲しさ、あるいは、勝敗の結果に納得がいかずに怒りを爆発させたいような気持ちを懸命にがまんして、good loserとして振る舞まったら、親は、「立派だったね」「誇りに思うよ」というようにほめてあげます。

誰でも敗者になるよりは勝者になりたいですし、支援してくれた人たちがいれば、いっしょに喜びをわかちあいたいものです。逆に、一生懸命努力をしたのに敗者になれば落胆し、泣きたくなるのも人間としてごく普通の心理です。でも、そんな時、ひたすら感情的になって言葉や態度で結果を否認するだけなら、そこから良いことはなにも生まれません。

一方、負けるというネガティブな出来事に直面した際、good loserとなることを心がけるというチョイスをすると、ネガティブをポジティブに変えることができます。教育的な観点からのメリットは明らかで、現実を客観的に直視する能力や、自分の感情をコントロールする能力を育てることにつながりますし、人としての謙遜さを養う機会にもなります。さらに長い目で見れば、つらい経験を克服し、再び立ち上がる精神力の強さや自分を信じる心を養い、努力を続け、人生に対して積極的に取り組む姿勢を身につける助けにもなるでしょう。

わかりやすく言えば、good loserの根本にあるのは、「負け」は人を育てるという考え方です。敗者になるという心理的なダメージの大きい否定的な出来事を、人格形成や成長につなげていくという前向き思考のアプローチです。加えて、冒頭でも触れたように、アメリカは競争することが多い社会ですので、勝者として、敗者としてどのようにふるまうべきか、子どもの頃から精神論的に学んで社会的な規範として身につける必要があるということも言えるでしょう。

日本では「良き敗者」の精神についてあえて教えるということは、家庭でも学校でもそれほどされてきていないようです。だからといって日本人には無縁の価値観ということではなく、日本の武道で礼節を重んじ、品格のあるふるまいをすることが大切にされるのは、まったく同じ考え方というわけではないにしても、good loserの精神と通じるものがあるのかもしれません。

大統領選で示されてきた「良き敗者」の精神

さて、アメリカの大統領選挙に話を戻すと、大統領選では、敗れたほうの候補がconcession speech(日本語では「敗北宣言」と言われているもの)をするのが慣例になっていますが、これにも、このgood loser ―「良き敗者」の精神がよく表れています。これまでも「良き敗者」によって行われた素晴らしいconcession speechはいくつもありますが、前回の2016年、アメリカ史上初の女性大統領候補としてトランプ候補と選挙戦を戦い、敗者となったヒラリー・クリントンさんが行ったconcession speechも例外ではありません。

ヒラリーさんは長い間、政界のエリートとして輝かしすぎるほどの活躍をし続けてきたことが仇(あだ)となったのか、同じ女性たちの間でも一部には人気が低かったとも言われていました。しかし、アメリカの民主主義の根幹であるpeaceful transition of power(平和的な権力の移行)を実現するために、ヒラリー候補が、時に落胆や悔しさをにじませながらも、明るい雰囲気を絶やさず、粛々と、威厳を持って行った敗者のスピーチは、「すごく立派だった」「聞いていて涙が出てきた」「心からの思いが伝わってきてとても良かった」といった共感の声が女性からも多く寄せられて、大きな称賛を受けました。勝者となったトランプ候補の成功を祈り、支えてくれたすべての人たちに感謝を伝え、ヒラリー候補は、さらにこんなふうに自らの思いを、静かに、しかし、力強く語りかけたのです。

“We have seen that our nation is more deeply divided than we thought. But I still believe in America and I always will. And if you do, then we must accept this result and then look to the future. Donald Trump is going to be our president. We owe him an open mind and the chance to lead.”
「私たちの国は思っていた以上に深く分断されている、そのことを私たちは目の当たりにしてきました。でも、私は今でもアメリカを信じ、これからも信じ続けます。そしてもし、あなたもそうするなら、この結果を受け入れて、未来をみつめなければなりません。ドナルド・トランプは私たちの大統領となります。心を開いて、彼にこの国を率いるチャンスを与えようではありませんか」

“……we believe that the American dream is big enough for everyone - for people of all races and religions, for men and women, for immigrants, for LGBT people, and people with disabilities. For everyone.”
「アメリカンドリームはすべての人のためのもの、それだけ大きいものだと私たちは信じています。あらゆる人種や宗教を持つ人々のため、男性、女性のため、移民のため、LGBTの人たちのため、障害を持つ人たちのため。みんなのためのものなのです」

“……I’ve had successes and I’ve had setbacks. Sometimes, really painful ones. … This loss hurts, but please never stop believing that fighting for what’s right is worth it.”
「私には成功もあり、挫折もありました。それらの挫折は、時にひどく傷つくものでした。(中略)この敗北は痛みをともなうものです。でも、正しいことのために戦うのは価値があると信じることを、決してやめないでください」

“I know we have still not shattered that highest and hardest glass ceiling, but some day someone will and hopefully sooner than we might think right now.”
「もっとも高く、もっとも強固なガラスの天井を私たちはまだ砕いていない、それはわかっています。でも、いつか、誰かが必ず達成するでしょう。私たちが想像するよりも早くそうなることを願っています」

“And to all of the little girls who are watching this, never doubt that you are valuable and powerful and deserving of every chance and opportunity in the world to pursue and achieve your own dreams.”
「これを見ているすべての少女たちに伝えたいのです。皆さんは貴重な存在で、影響力を持っていることを決して疑わないでください。皆さんには、自分の夢を追いかけ、実現するために、この世界にあるあらゆるチャンスと機会を得て当然の価値があるのです」

“…And I still believe as deeply as I ever have that if we stand together and work together with respect for our differences, strength in our convictions and love for this nation, our best days are still ahead of us.”
「私はかつてないほど深く信じています。もし私たちがそれぞれの持つ違いに敬意を払い、強い信念とこの国への愛情を持って団結し、ともに働くなら、私たちの前には最良の日々が待っているということを」

「良き敗者」ヒラリー候補から渡されたバトン

ヒラリー候補は一般投票の獲得数ではトランプ氏を大きく上回っていたので、「本当に勝ったのは自分」という気持ちが強かったはずです。それだけに、こうした敗北宣言をするのは心情的にも立場的にも大変むずかしかったことでしょう。それでも、国の混乱を避けるためにいさぎよく負けを認めて、きわめて迅速に、選挙当日深夜には憎き敵のはずだったトランプ候補に祝福の電話を入れ、翌日にはconcession speechを行って国民の団結を訴えました。そうしたgood looserとしての態度そのものも、高く評価された要因となりました。

このヒラリーさんの大統領選挙と同時に行われた上院選で当選し、政界進出を果たしたのが、今回の選挙で同じ民主党の副大統領候補となったカマラ・ハリスさんです。初の「女性」「黒人」「アジア系」副大統領として話題を集めているハリスさんの白いスーツ姿に、女性の進出を阻む、見えない「『ガラスの天井』を自分は砕けなかったけれど、誰かが必ず打ち砕く」という4年前のヒラリーさんの言葉が、あらためて思い起こされています。

(注:ヒラリー・クリントン候補のスピーチはインターネットで公開されているものを参考にしています)

文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。

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