文・晏生莉衣

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策で長引いた休校をきっかけに、日本の学校制度を見直す機運が高まっています。その一つが、世界のスタンダードと言われる「9月入学」を日本に導入するという案で、前回は、そのモデルとしてアメリカの学校制度を取り上げました。その中で、新学年は8月下旬から9月初旬に開始されて翌年の6月が学年末となり、卒業式は6月上旬に行われるのが一般的という学校の年間スケジュールをご紹介しましたが、そもそも、アメリカの学校はなぜ9月に始まるのでしょうか。

9月に学校が始まる理由とは?

通説として言われているのは、農業のサイクルに基づくという説です。6月から8月にかけては小麦の収穫で忙しく、子どもたちは学校に通わずに農作業を手伝ったため、そうした農業経済の時代の名残りとして長い夏休みが定着したというものです。ただ、これには、農作業が最も多忙になるのは春の種まきや植え付けの時期と秋の収穫期が一般的で、夏は一番の農繁期ではないという異論もあります。

実際に、アメリカで公教育が始まった1800年代は、都市部では1年を通じて学校の授業が行われていた一方、農村部では農作業に適さない冬と、春秋ほど人手を必要としない夏にだけ、授業が行われていました。アメリカの教育史の研究者でニューヨーク市立大学スタテンアイランド校教育学部長のケネス・ゴールドさんによると、その後、都市部で通年だった開校期間を縮小する動きが生まれ、暑さを避けて夏に学校を休みとするようになったことと、都市部と農村部の学校スケジュールを統一化する改革が始まったことによって、現代のような学校スケジュールへと変化していったそうです。

ちなみに、オーストラリアやニュージーランドは新学期は1月か2月に始まりますが、北半球と季節が逆の南半球では12月頃が真夏となりますから、夏休みが終わったあとに新学期が始まるという学校スケジュールとしては同じことになります。

長い長い夏休みの過ごし方

さて、アメリカの学校の夏休みは、州によって多少異なりますが、6月中旬頃から8月いっぱい、2か月半くらい続きます。これは長いですね。勉強から開放されて夏を楽しむ子どもたちは大喜びでも、保護者の負担はとても大きいものになります。日本でもCOVID-19対策の休校措置のために、保護者の方々が仕事や生活の面でご苦労されたことは記憶に新しいですが、この休校は約3か月間続きましたので、これとほぼ同じような長さの夏休みが毎年やってくるというわけです。そう考えると、アメリカで子どもをどのように夏休みを過ごさせるか、親がどれだけ頭を悩ませているかがおわかりになるのではないでしょうか。

アメリカで、その長い夏休み対策として行われているのがサマーキャンプです。キャンプといっても、子どもたちのために催される夏の特別プログラムの総称のようなもので、実際に、子どもたちが団体バスに乗り込んで遠方のキャンプ地に向かい、日中は自然の中で活動して、夜はテントやバンガローで寝泊まりするという滞在型の本格的なキャンプもありますが、泊まりがけではなく、日中に行われるプログラムに家から通って参加するタイプのものもあり、こちらのタイプはday camp(ディキャンプ)と呼ばれています。

内容はさまざまで、各種スポーツ教室やサイエンス教室のようなものから、工作や絵を習う美術系、演劇や音楽などの芸術系のプログラムなど、子どもの興味に合わせて楽しめる幅広いプログラムが用意され、参加は1週間から、希望によって2か月間続けることもできます。特に小学校低学年くらいまでの子どもたちには日中、お世話をしてくれる人が必要ですから、こうしたサマーキャンプに子どもが参加していれば、親はその間、普通どおりに働くことができるので大助かりです。ある意味、大人にとっては、夏休みの間はサマーキャンプに子どもを預けるという感覚です。

子どもたちにとっては、サマーキャンプは夏休みだけの特別のわくわく体験。日頃はできない新しいなにかに挑戦してみたり、新しい友だちと出会ったりと、大人になっても記憶に残る楽しい思い出作りの場になります。アメリカではサマーキャンプを専門的に手がけるNPOが数多くあり、評判の良いNPOのプログラムは早くから申し込まないとすぐに満員となってしまいますから、参加する子どもはもちろん、保護者もサマーキャンプ選びは真剣になります。

しかし、問題なのは参加費用。滞在型の場合、平均して1週間で630ドル、ラグジュアリーなキャンプでは週2000ドル以上かかるものもあります。ディキャンプは1週間200ドルから800ドル以上かかります(American Camp Association調べ、2018年調査)。1ドル100円でざっくり換算しても、子どもひとりの1週間の費用は、滞在型は6万円以上、日帰り型でも2万円はかかることになります。このように、保護者に重い費用負担がかかるため、子どもの夏休みの過ごし方にも家庭の経済状況が影響してきてしまいます。ただ、サマーキャンプの費用はtuition(学費、授業料)と呼ばれることがあり、それからもわかるように、キャンプにはサマースクール、夏季学校といった学習的な要素が含まれますので、参加するための助成金やスカラーシップ(奨学金)制度を利用できる場合があります。また、  YMCA、YWCAの公共的なプログラムは比較的安い費用で参加できるので人気があり、学校や地域のコミュニティグループが行うプログラムもあるので、子どもたちはいずれにしてもなんらかのサマーキャンプに通うことができるようです。

保護者のサマーキャンプ費用の負担以外にもう一つ、長い夏休みのデメリットとして挙げられるのは、子どもの学力に関することです。夏休みはある学年を終えてから次の学年に進む間、すなわち学年度の合間の時期にあたりますので、宿題はありません。子どもが宿題の心配をすることなく夏を満喫するできる一方、2か月半もの夏休みの間、学校から離れて勉強しないでいることで、子どもたちの学力が低下する懸念があるのは否めない点です。遊び癖がついてしまい、新学期を迎えても学校中心の生活リズムをすぐには取り戻せず、勉強に専念するのがむずかしい子どもも出てきます。

日本にとってのメリット・デメリット

そうはいっても、宿題の心配をせずに、勉強や学校生活のストレスから開放されてのびのびと過ごせるという点では、アメリカ式の夏休みは、子どもの精神衛生上、大きなメリットがあります。一方の日本では、夏休みにもたくさんの課題が出て、子どもたちは休み中もその進み具合を気にしつつ、8月の終わりには課題の仕上げに追いまくられて大変な思いをするというような具合です。

日本の若者は他国の若者に比べて自己否定感が強く、社会に対する積極的な意識が低いという国際比較データが以前から報告されていますが、日本では子どもたちが学校で出される宿題に日々、追われ、常に他人からの評価を気にしなければならないストレスの多い生活を幼い頃から続けることが、自分に自信を持つことができない、将来に対する不安感が強い、前向きな意欲を欠くというような特質を生む一因となっていることは、十分に考えられます。

そうしたことを総合的にみると、精神的にネガティブな傾向を示しがちな日本の子どもたちにとって、「9月入学」の一番のメリットは「宿題から解放される夏休み」なのかもしれません。勉強や学校でのプレッシャーから解放されて、のんびりとリラックスできる時間を確保することは、子どもたちが学校生活で受ける精神的なダメージから回復し、子ども本来の「生きる力」を取り戻すことにつながります。夏休みだけの問題ではありませんが、子ども時代には夢中になって遊ぶ時間や、自分の好きなことに没頭できる自由な時間が必要です。日本の場合、年度末の春休みには基本的に宿題がありませんが、春休みはたいてい2週間もありませんから、あっという間に過ぎてしまいます。9月入学が日本に導入されて、アメリカ的な開放感あふれる長い夏休みを日本の子どもたちも思いっきり楽しむことができるようになるなら、日本の子どもたちの人格形成にとって、9月入学のメリットは大きいと言えるのではないでしょうか。

デメリットとして先に挙げた点について考えると、日本の義務教育での年間授業日数は、200日を目安として、それよりやや多く設定している学校が一般的です。一方、アメリカの義務教育「K-12」の平均的な年間授業日数は180日です(前回レッスン参照)。日本はアメリカより20日以上多いので、9月入学を導入しても、単純な足し算で、学年末はアメリカより約1か月は遅くなります。つまり、アメリカのように6月中旬ではなく、7月中旬頃から夏休みが始まるようになると想定されますので、その場合、夏休みは1か月半くらいとなり、現在の夏休み期間とさほど変わることはありません。ですから、アメリカのように、長過ぎる夏休みによって保護者が大変な負担を強いられるとか、子どもの学力が著しく低下するのではといった懸念については、さほど心配しなくても大丈夫なのではないでしょうか。

高校生は大学進学が気になりますが、アメリカでは高校生になると、今度はサマーキャンプの運営を手伝うヴォランティアとしてキャンプに参加することもあります。サマーキャンプに限らず、夏休みの間、いろいろなヴォランティア活動やアルバイトをして、楽しみながらその経験を大学進学に役立てるのが、アメリカの高校生の一般的な夏休みの過ごし方になっているようです。アメリカでは大学の入学選考の際に、学力に加えて人物評価が重視されますから、大学進学を希望する生徒は、いろいろな活動や経験を通してなにを達成したかを示すことがとても重要になるのです。また、アメリカの高校は単位制なので、卒業が遅れないように、落としてしまった単位を取るために学校のサマースクールに通う生徒もいます。

日本の子どもたちを学校生活のストレスから開放するという精神衛生上のメリットが薄れて本末転倒になってしまうかもしれませんが、9月に新学期を迎えることになれば、日本でも、長めの夏休みを利用して学校がサマースクールを開き、希望する生徒に対して、学期中によく理解できなかった授業内容をフォローするための補習を、新学年度が始まる前に行うことが可能になります。こうした点も、9月始まりのメリットとなるかもしれません。学習塾が遊びと勉強の要素を兼ね添えたサマーコースを充実させたり、サマーキャンプを手がける新ビジネスが生まれたりという展開も、多いに予想されるところです。

* * *

ほとんどの日本の子どもたちにとっては、休校による遅れをカバーするために今年の夏休みは短くなりそうですが、それでも夏休みの宿題は、いつもどおり山ほど出るのでしょうか。アメリカの学校も休校が続きましたが、多くの学校でオンライン学習が行われていたこともあり、夏休みを短縮するという話はあまり耳にしません。子どもたちの関心はすでにサマーキャンプに 移り、今年はCOVID-19対策で、サマーキャンプもオンラインの “e-summer camp” がトレンドで、すでにヴァーチャルなプログラムの数々が発表されています。

文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。

 

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