トキワ荘

手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子ら戦後マンガの巨匠たちが、青春時代を過ごした伝説の木造アパート「トキワ荘」。

今年、解体から38年ぶりに復元され、「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」(https://www.tokiwasomm.jp/)としてオープンすることもあり、トキワ荘の時代をふりかえる気運がたかまっている。

いまや日本の漫画は世界中で読まれ、多くの外国人が漫画で興味を持ち、日本を訪れるようになった。そうした世界的な漫画ブームの中で、トキワ荘時代を知るためにうってつけの名著が先日、文庫化された。トキワ荘の漫画家グループの中心にいた人物、寺田ヒロオの人生を通して戦後マンガの青春像を描く傑作評伝『トキワ荘の時代』だ。トキワ荘

1950年代、手塚治虫を慕って地方から上京してきた才気溢れる漫画青年たちの熱気と情熱の渦の中心にいたのが、「テラさん」こと寺田ヒロオだった。『トキワ荘の時代』著者・梶井純(漫画評論家)は、『スポーツマン金太郎』『背番号0』などの名作を残した寺田ヒロオが戦後マンガ界に残した足跡をたどりながら、トキワ荘から巣立った若き俊英の青春を生き生きと活写する。

梶井は言う。

〈寺田ヒロオ像はさまざまな伝説的なエピソードをもって語り継がれてきた。手塚治虫、藤子A、藤子F、赤塚不二夫ら、トキワ荘にかかわった人たちによる「テラさん」についての思い出は、例外なくとてもあたたかい〉

憧れの手塚に原稿を見てもらうため、富山からトキワ荘を訪ねた安孫子素雄(のちの藤子不二雄(A))は、手塚に紹介された寺田と、たちまち意気投合、そのまま寺田の部屋に一週間も泊めてもらうことになる。寺田に安孫子を預けたままトキワ荘に戻らなかった手塚には、三歳しか年齢の離れていない寺田の人格への深い信頼があったのではないか、と著者は推し量る。

その後、藤子不二雄のふたりは、雑司が谷に仕事場を移すことになった手塚のはからいで、手塚のいた部屋に敷金をそのまま置いてもらい、トキワ荘に入居することになる。手塚と入れ替わるように入居した藤子をはじめ、トキワ荘にその後入居してくる石ノ森章太郎、赤塚不二夫らは、「漫画の神様」と仰ぐ手塚治虫とは入れ違いに入居しており、一つ屋根の下では暮らしていない。手塚にかわってかれらの兄貴分として慕われるリーダー格となったのが、手塚の『ジャングル大帝』が連載され、全国の漫画家予備軍の少年たちの目標となった雑誌『漫画少年』で、ひときわ才気をふるって注目されていた寺田ヒロオなのだ。

地方から上京してきた漫画青年たちの精神的支柱となった「テラさん」の存在抜きに、トキワ荘の神話は誕生しなかったといわれる理由もそこにある。

藤子不二雄のふたりが入居する前に、寺田が安孫子宛に送った手紙には、月々に必要な経費から、鍋、しゃもじなど日用品のひとつひとつが記され、住民への挨拶まわりの手順まで細かく心配りした文面が並んでいた。手塚が立て替えた敷金の返済が滞るようなら用立てもするという細やかな配慮に、テラさんの本領が早くも現れていたと、著者は感嘆する。当時の寺田は『背番号0』のヒット作を描く以前で、経済事情に余裕はなかったと知ればなおさらだ。

〈友人にたいしてどこまでもあたたかい心根を見せた寺田〉の包容力が、漫画への社会の偏見が厳しかった時代に、孤立した地方の漫画青年を引き寄せる発光源となったのは想像に難くない。本書には、そんな寺田ヒロオの人柄をしめすエピソードがつぎつぎに描かれる。

この時期、才能ある漫画家の卵がトキワ荘に集まったのは、大家から信用されていた寺田が、藤子らと相談して、入居希望の漫画青年を選んだからだという。漫画家という職業がまだ世間に認知されていなかった当時、トキワ荘がきらめくような若き俊英たちの梁山泊となった陰に、「テラさん」がいた。

1959年に創刊された『少年サンデー』に寺田が連載した『スポーツマン金太郎』は、たちまち看板作品となるヒットとなり、人気作家としてもトキワ荘グループの指標となる。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫が暮らした「トキワ荘」の精神的支柱、寺田ヒロオを知っていますか?

だが、それからわずか五年後、絶頂期の寺田は第一線の舞台から退くように『スポーツマン金太郎』の連載を終わらせ、最後の週刊誌連載『暗闇五段』を発表する。

梶井はこう記す。

〈すくなくとも読者たちからすれば、第一級の人気があるマンガ家の一人であった寺田ヒロオは、「みずからの意志」で消えていったように見えた。そういうかたちで後退していったマンガ家は、戦後マンガ史のなかでは寺田ヒロオ以外にはいない〉

当時、仲間内でいちばんの売れっ子であった寺田ヒロオは、なぜ「筆を折る」ようにマンガ界から身を引き、晩年、かつてのトキワ荘グループの後輩たちとも交流を絶ったのか。本書を貫くひとつの謎をめぐって、寺田本人の口から語られる言葉は、多くの読者にとって驚くに値するものだろう。

本書で紹介される石ノ森の述懐はその示唆を与えてくれる。

〈その寺さんが、マンガを少し休む、といいだした。
「雑誌がキタナクなったから……」
マンガが刺激を求めてエスカレートし、エログロナンセンスが夢になり始めた頃である。驚いた。(中略)時の流れに乗って描き続け…流れを変えることの出来なかった自分を思い−−寺さんの生き方を思い、恥ずかしいのである。〉(寺田ヒロオ『背番号0』(二見書房サラ文庫版)解説・石ノ森章太郎「若葉の下にゾウさんがいた」より)

寺田ヒロオが週刊誌の舞台を去る1960年代なかばは、戦後マンガ史のおおきな転換期だった。いわゆる劇画ブームが席巻し、国産アニメが量産され、子どもマンガが「刺激を求めてエスレート」していく時代は、トキワ荘のマンガ家たちにとっても「もっとも高揚した時期」だった。はなばなしいマンガの隆盛の「時流に乗る」ことを拒み、静かに退場していった寺田ヒロオの後ろ姿を、著者・梶井は万感の思いで追う。誰とも会わず、酒浸りの日々となる晩年を伝える梶井の筆には深い感慨がこもっている。

夢をみるだけで生きていけた「トキワ荘の青春」はこうして終わりを告げた。トキワ荘

『サライ』2020年5月号の特集は「手塚治虫と漫画の青春」。手塚治虫の前半生を追い、トキワ荘時代を寺田ヒロオと共に過ごした鈴木伸一氏の談話や寺田ヒロオとトキワ荘の仲間たちの写真も掲載。漫画にルネサンスをもたらした疾風怒濤の「漫画の青春」時代に、想いを馳せてはいかがだろうか。

文/山田英生

『トキワ荘の時代』

梶井純・著
ちくま文庫
定価:本体880円+税

『トキワ荘の時代』

<目次>
第1章 漫画少年と野球
第2章 マンガ家への夢
第3章 トキワ荘の日々
第4章 マンガブームの時代
第5章 貸本劇画という「異人」たち
第6章 少年週刊誌全盛のなかで
終章 最後に『『漫画少年』史』
解説 吉備能人  

『サライ』5月号の特集は「手塚治虫と漫画の青春」。トキワ荘に集った“漫画の神様”と俊才たちの熱き日々を紐解いていきます。さらに、手塚治虫が19歳で描いたストーリー漫画の原点『地底国の怪人』が全160ページの特別付録で復刻します。

 

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