『麒麟がくる』序盤の主要な舞台となっている美濃(岐阜県)。劇中、斎藤道三(演・本木雅弘)の居城として登場するのが稲葉山城(現岐阜城)。
その稲葉山の麓にある岐阜市歴史博物館では大河ドラマ館が運営されている。毎年欠かさず大河ドラマゆかりの地を訪れるという人は多いが、本木雅弘演じる斎藤道三人気もあって、多くの人が訪れているという。
この稲葉山から直線距離で約14㎞。岐阜城にいく機会があったら是非とも足を伸ばしてほしい城跡がある。
『麒麟がくる』で尾美としのり演じる土岐頼芸が居城とした大桑城(おおがじょう)だ。
頼芸は、対立する斎藤道三の嫡男・高政(後の義龍)を自陣に招き入れ、斎藤家は分裂。やがて親子の戦いに発展していくことになる。
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天文16年(1547)、大河ドラマ『麒麟がくる』の幕開けは、この年から始まる。舞台は美濃(岐阜県)。稲葉山城で実質的に国を治める斎藤道三と名目上の守護・土岐頼純、頼芸らが国の主導権を巡って激しく争っていた。
当時の土岐氏の居城が、標高407mの古城山に築かれた大桑城。山城だが、はじかみ林道登山口駐車場からは約20分で山頂の本丸跡に行くことができる。岐阜駅からは車で約40分ほどの距離だ。
「斎藤道三は大桑城を落として土岐頼芸から美濃を奪います。しかし、美濃はやがて、濃尾平野から攻めてきた道三の女婿・織田信長が奪取する。大桑城跡から稲葉山は実は至近に見えます。天下統一への動きがこの狭い世界で起こったということを実感できる場所だと思います」(『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』の著者で三重大学・藤田達生教授)。
大桑城と稲葉山は、直線距離で約14㎞。古城山頂からは眺望もよく、晴れた日には、稲葉山の頂上に立つ岐阜城の天守閣がうっすらと見える。その眺めは、戦国時代に対峙した土岐家と斎藤家の距離を体感させてくれる。
そして、その眺望の良さにある疑問が浮かんでくるのだ。これだけ眺めがよく、攻めてくる斎藤道三らの軍勢の動きも把握できるはずなのに、なぜ大桑城は落ちたのか。
案内してくれた山県市教育委員会の服部佳明さんにそんな疑問をぶつけると意外な答えが返ってきた。
「斎藤軍は表からではなく山の裏側から攻めてきたんです――」
大桑城には、現在登り口が二つある。
〈はじかみ林道登山口駐車場〉のある林道中腹からのコース(本丸まで約20分)と麓から登り始め、多くの遺構を楽しめる60分程で本丸跡までたどりつくコースだ。
『麒麟がくる』放映開始後には、月に2000人を超える人がその眺望を楽しんでいるという。3月20日には、東海環状自動車道 山県ICが開通し、アクセスも向上。さらに多くの登城者が訪れると予測されている。
山県市内には、合戦で討ち死にした土岐氏家臣の供養のために建立された「戦死六萬墓」、斎藤軍の侵入を防ぐために造られた「四国堀」など、土岐氏と斎藤軍の激しい攻防を伝える史跡がいくつかある。
この時代、各地で旧勢力が新興勢力に駆逐された。その理由を示唆する絵画が山県市に遺されている。土岐頼芸が描いたと伝えられる鷹図は、鎌倉以来の名門一族の生活が貴族化して「武」よりも「文」を重視していたことを今に伝える。
歴史的には愚将扱いされる土岐頼芸が、もし違う時代に生を受けていたら――。
「文人大名」として歴史に名を残したのではないかと空想すると、歴史の歯車とはなんと残酷なものであるのかと思えてくるのである。
文・『サライ』歴史班 一乗谷かおり
※この記事は、『サライ』2020年2月号明智光秀特集記事をベースに再構成したものです。