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「観応の擾乱」(かんのうのじょうらん)とは何か~足利尊氏・直義兄弟、骨肉の争い【にっぽん歴史夜話22】

文/砂原浩太朗(小説家)

足利尊氏像

足利尊氏像

「観応の擾乱」(かんのうのじょうらん)をご存じだろうか。高校日本史の教科書にも載っているから、聞き覚えのある方は多いだろう。が、説明せよといわれれば言葉に詰まってしまうのではないか。初期の室町幕府を揺るがしたこの争乱は、それほどに複雑で、まるでシェイクスピア悲劇のような奥行きをたたえている。

争乱の背景

まずは、いささか乱暴なのを承知で、「観応の擾乱」をひとことで要約してみたい。「室町幕府の草創期、初代将軍・足利尊氏と弟・直義(ただよし)のあいだに起こった内乱」ということになるだろうか。「観応」は、乱が繰りひろげられた折の元号である。

1349年8月、尊氏の家臣・高師直(こうのもろなお)が、軍勢を率いてあるじの屋敷を取りかこんだ。師直はかねてから対立する直義と雌雄を決すべく兵を挙げたのだが、尊氏が弟を自邸にかくまったため、このような仕儀となったのである。さすがに師直もあるじを討つ気はなく、直義が政務から手をひくこと、直義派の中心人物を流罪に処すことなどの条件で、この場は落着した。

まるで戦国時代かと思われるような事件だが、室町幕府は、成立当初からさまざまな問題をはらんでいた。天皇家も南北両朝に分かれ(幕府は北朝方)、いまだ天下がおさまったとは言いがたい。そのためか、尊氏と直義の二頭政治ともいうべき体制を取ることとなった。ごく大まかにいえば、軍事が尊氏、政務が直義という分担である。

だが、この手法は、必然的に尊氏派と直義派を作り出してしまう。尊氏派の筆頭が師直で、騒ぎの数か月前には、直義派の讒言により執事(家老)の職を解かれていた。今回の挙兵は、その巻き返しというわけである。

師直=悪人説はほんとうか

歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」で敵役に擬せられたためか(吉良上野介にあたる役が師直)、高師直というと今でも極悪人のようなイメージがつきまとっている。とはいえ、伝えられているのは、分不相応な豪邸に住んで贅を尽くしたとか、身分の高い姫君を片っ端から我がものにしたといったエピソード。しかも軍記物語の「太平記」にしか記述がないものである。弟である師泰(もろやす。兄説も)のほうには荘園から年貢を奪った事実が確認されているが、これも当時はしばしばおこなわれたことで、師直一党がとりわけひどかったわけではない。尊氏の片腕として行政にもあかるく、南朝方の北畠顕家、楠木正行(まさつら。正成の子、いわゆる小楠公)を敗死させるなど、武将としての功績もおおきい人物である。また、尊氏邸をかこんだ一件も、直義の実権をうばうため、あるじと示し合わせて仕組んだという説が当時からささやかれていた。悪役を作り出そうとするのは歴史の常だが、そろそろ公平な評価を与えていいころではなかろうか。

【次ページに続きます】

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