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「本能寺の変」研究の第一人者が語る新著『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』の試み

文/藤田達生(三重大学教授)

今、深夜の北京のホテルで、四十年以上も前の歴史学との出会いについて記憶をたどっている。筆者が進学した地元国立大学は、きわめて保守的な土地柄にあったが、それでも国家や社会の理想が学生同士で熱く語られる時代だった。

その頃の地方国立大学は、一期校の伝統大学に不合格だった青年たちが少なくなかった。その意味で筆者も鬱屈した学生生活に入ったのではあるが、そこには理想に燃えた若い大学教官たちとの出会いがあった。「歴史学とは創造の学問で、科学が支配している。世界史の基本法則を理解し、その立場からあるべき将来に向けて努力しよう!」というのが、その頃耳にしたスローガンだった。

無垢な青年ほど、その思想に傾倒していった。戦後歴史学とは、地方にあっては戦前の皇国史観の次に登場した、中央から降りてきた政治運動だったと思う。大量生産・消費を是とする資本主義は、やがて出口のない矛盾に陥り、より合理的な社会主義が選択される、と進歩的な学生は信じていた時代である。

話は、四十年後の北京に戻る。招聘された大学で講義をしての感想は、日本の学生と変わらないということである。彼らはジーンズをはき、スマホを職人的に操り、企業の経営する学食で大いに語らい、グラウンドや体育館でスポーツに興じている。聞くところによると、取得せねばならない単位が多く、バイトとの両立に悩んでいる学生も多いらしい。

ホテルに帰ってテレビをつけると、CMの入るニュース・ドラマ・ワイドショーが流れ、町を歩けば日本以上に高級車を見かけるし、超高級レストランやホテルも繁盛しているようだ。「社会主義の理想は、一体どこに行ったのだろう?」と、ふと独りごちた。

明智城跡から明智荘を望む

明智城跡から明智荘を望む

◆織田家中で最期に生き残ったのが「秀吉」という意味を考える

拙著『明智光秀伝―本能寺の変に至る派閥力学』は、戦後歴史学の基層にある明治時代以来の近代歴史学を意識しながら上梓したものである。その代表が評伝、すなわち「立志伝」だった。身分制社会は過去のことで、個人の刻苦勉励によって出世がかなう時代になった。「末は博士か大臣か」は、象徴的なスローガンである。戦後の司馬文学もそれにきわめて親和的だったし、今なお松下幸之助や本田宗一郎などの立志伝の人気は衰えない。

時代は異なるが、光秀も立志伝中の人物といえるかもしれない。不幸が重なり長らく浪人生活に甘んじていたが、信長との出会いによって大きく人生が開花したのである。彼の、たゆまぬ修練や家族や家臣団に対するあたたかい思いやりが、それを支えたことは事実であり、拙著でも詳述したつもりである。

しかし、光秀の武将としての政策決定は、常に彼を支える人脈の総意としてなされた。確かに教養人である彼に対する信望は篤かった。ただし、明智家という大名家の将来に関わる問題については、斎藤利三をはじめとする家老たちの合意がないと、一歩も進まなかったのである。歴史を決定したのは、専制君主でもましてや階級闘争でもない。派閥力学こそ、組織を方向づけてきたのだ。

明智家にとって、自家滅亡につながった本能寺の変であるが、光秀の個人的な思いから発作的に実行することなど、とうてい不可能であった。にもかかわらず、今なお彼の個人的な事情や感情にもとづく「単独説」を唱える研究者は少なくない。そのような文章に接すると、研究以前に地に足着いた社会生活を経験したことがあるのか、失礼ながら心配になることがある。

民主政治を標榜する現代においてさえ、重要な政策決定は、派閥などの集団の意志統一なしにありえないではないか。政治史研究における派閥論・人脈論は、なにも近現代の専売特許ではない。拙著は、日本史上もっとも専制的な支配をおこなった信長にあってさえ、重臣間の派閥抗争を統御しかねたこと、しかもそれが自らの死を招いたことを指摘したものである。最後に生き残ったのが「人たらし」の天才・秀吉だったことにこそ意味がある。

ポストモダンが叫ばれて久しいし、右肩下がりの時代が到来したにもかかわらず、個人の努力に無限の可能性を認め、スターを待望する近代の思想は、いまだに影響力を失っていない。スポーツや芸術なら理解できるが、個人技ではいかんともしがたい政界においてすらそうである。世界的には、AI技術による人間個性の無力化が懸念される第四次産業革命が進行している。新たな歴史ステージに対応する歴史学が待望される所以である。

岐阜県可児市にある明智城跡も現地取材(2019年7月)

岐阜県可児市にある明智城跡も現地取材(2019年7月)

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

 

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