後に織田信長に仕え、最初に信長を裏切ることになる松永久秀(演・吉田鋼太郎)。

大河ドラマ『麒麟がくる』後半戦最大の関心事は、なぜ明智光秀(演・長谷川博己)が信長を裏切ったのかにつきるだろう。実は、織田家中では光秀に先んじて信長に反旗を翻した家臣がいた。松永久秀(演・吉田鋼太郎)と荒木村重。彼らはなぜ信長を裏切ったのか? 三重大学の藤田達生教授が著した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』から再録する。

* * *

松永久秀や荒木村重の織田信長への裏切りについては、古来、彼らの機を見て敏なる如才なさが、仇になった事件として描かれる場合が多かった。戦国武将としては、当然のこと主君を選ぶのが常で、それに失敗したケースとみられてきたのではなかろうか。

永正五年(1508)年生まれの久秀の出身地は諸説あるが、近年では現在の大阪府高槻市の五百住説が有力である。初見史料は、三好長慶の宿老として主君の意を奉じた天文九年(1540)のものである。その後は、驚異的な出世を遂げて従四位に叙せられ、主君の長慶と対等の将軍足利義輝の御供衆にまで上り詰めた。 

近年、信長の上洛計画は、永禄十一年(1568)に先だって同九年にあったことが明らかになった。永禄八年の義輝殺害事件(永禄の政変)の後、亡命した義昭が信長ばかりではなく、久秀とも連携して上洛を計画していたのである。これは、三好義継や三好三人衆の妨害で実現しなかったのであるが、永禄十一年に信長の上洛が成功した背景には、久秀が大和から反対勢力を牽制したことが指摘されている。

天正元年(1572)十二月、久秀は主君三好義継が滅ぼされたため信長に降伏し、その麾下に属した。これ以降、格下の筒井順慶の下風に立つなど不遇な待遇を託つようになっていった。

天正五年八月、信長をはじめとする主力勢力が上杉謙信と戦うべく北国に向かった隙に乗じて、久秀は決起し大和信貴山城(奈良県平群町)に籠もった。謙信の軍事行動は足利義昭や大坂本願寺と連携していたから、久秀の離反もその一翼に属するものだったとみられる。

【松永久秀に次いで荒木村重も信長に反旗を翻す。次ページに続きます】

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