文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「珍しさと品格の具(そな)わりたる文章と夫(それ)から純粋な書き振(ぶり)とにて優に朝日で紹介してやる価値ありと信じ候」
--夏目漱石

夏目漱石は東京朝日新聞社の小説記者であった。専属作家のようなもので、朝日新聞に長篇連載小説を書くことを軸に、随時、評論やエッセイも発表した。明治42年(1909)から翌々年にかけては、「朝日文芸欄」を創設し運営責任者もつとめた。

他にもうひとつ、漱石が果たした役割として、今でいう編集プロデューサーのような仕事があった。朝日新聞紙上に、さまざまな作家たちに連載小説を書かせた。すでに読者に知られている中堅の書き手に舞台を提供するだけでなく、無名の新人の発掘にも意欲を見せた。

上に掲げたのは、夏目漱石が大正2年(1913)2月26日付で、東京朝日新聞の学芸部長の山本松之助にあてて出した書簡の中の一節。推薦しているのは、中勘助の『銀の匙』だった。

中勘助は、子供のころ虚弱体質だった。生まれてまもなく全身に吹き出物ができ、漢方医の処方した薬を飲まなければならなかった。その際、赤ん坊の勘助の口へ薬をすくい入れるのに、小さく平べったい銀の匙が使われた。そんなエピソードから始めて、自らの幼少年期の思い出と、少年の目でとらえた美的世界を綴った作品であった。

勘助が野尻湖畔でその稿を起こしたのは明治45年(1912)夏、満27歳のとき。まだ無名の文学青年に過ぎなかった。一方で勘助は漱石の東大講師時代の教え子のひとりであり、書き上げた原稿を漱石のもとに送り、見てもらっていたのである。

その原稿が掲出の手紙文のような漱石の推挙により、翌大正2年(1913)の4月から6月にかけて、東京朝日新聞に連載され、後世に読み継がれる名作のひとつとなっていった。

静岡市の中勘助記念館を訪れた際、その銀の匙が残されていて思わぬ対面をすることができた。全長約8センチ。渋みのある銀色。大人になって身長180 センチ余りにまで成長した勘助は、この小さな匙を宝物のように愛蔵し、ときどき取り出しては眺めていたという。その光景を思い浮かべると、なんとも微笑ましい。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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