今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや」
--与謝野晶子
与謝野晶子が、日露戦争中、応召されて最前線の旅順にいる弟を思って綴った詩『君死にたまふことなかれ』の一節である。
詩の冒頭から掲出のことばまでを、改めて記せば--。
「あゝをとうとよ、君を泣く、/君死にたまふことなかれ、/末に生まれし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃をにぎらせて/人を殺せとをしへしや、/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや」
このあと全40行余りつづくこの詩は、「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」と添え書きされ、雑誌『明星』の明治37年(1904)9月号に掲載された。
この末弟は、晶子の実家の家業(菓子商)を継ぎ、妻も娶ったばかり。血気にはやるあまり、家や家族をも忘れ、決死隊に身を捧げるようなことがなければよいが、と晶子は気が気でなかった。
佐藤春夫にいわせれば、この詩は、「真情の迸るところ、或いは老いた母の心となり、或は若い妻の心となって、思いつめた姉の女心がむき出しに日常の会話の如く、すらすらと出来上ってしまった。詩人の天職に従い天真を流露せしめるに何の憚るところぞ、九重の雲いにも響けと歌い上げた」(『晶子曼陀羅』)ものであった。
大町桂月のように「国家観念をないがしろにしたる危険なる思想の発現なり」と、ことさらな物言いで問題視する向きもあったが、大衆の多くは素直な女性の真情を受けとめ、次第に名詩として位置づけられるようになる。
思えば、これは晶子の処女歌集『みだれ髪』が世に出たときの騒動にも重なる。『みだれ髪』には、たとえば次のような歌が収められ
ていた。
「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」
「ゆあみして泉を出でし我が肌に触るるは苦るし人の世の衣(きぬ)」
「いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春」
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
ほとばしる恋情を高らかに歌い上げるこれらの秀歌を、頭の堅い旧派のいわゆる道徳家たちは「娼妓、夜鷹輩の口にすべき乱倫の言を吐きて淫を勧めんとはする」「淫情浅想、久しうして堪べからざるを覚ゆ」と酷評した。けれど、若い文学愛好家たちからは圧倒的な支持をもって歓迎されたのである。
晶子は明治11年(1878)大阪・堺の生まれ。『明星』を主宰する鉄幹与謝野寛と恋に落ち、歌集『みだれ髪』の刊行を経て、結婚に至った。大正期以降の晶子は、作歌のみならず、童話や小説、古典の口語訳のほか、社会問題や女性問題に対する評論も積極的に手がけている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。