今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せず」
--斎藤緑雨

明治37年(1904)4月14日、次のような死亡広告の記事が新聞に掲載された。

「僕本月本日を以て目出度(めでたく)死去仕(つかまつり)候間此段広告仕候也 四月十三日 緑雨 斎藤賢」

目にした人は誰しも驚いたことだろう。文面からわかる通り、これは評論家の斎藤緑雨による自作の死亡広告だったのである。

斎藤が以前から罹患していた結核の症状が悪化し、危険な状態に陥ったのは、この死亡広告記事の日付から2日前、4月11日だった。知らせを受けて友人の馬場孤蝶が斎藤のもとに駆けつけると、斎藤は「いよいよお別れだ。少し頼みたいことがある」と言って、先の死亡広告記事を、日付を抜いた形で口述筆記させ、「自分が死んだら、これを新聞広告に出してほしい」と依頼したのだった。

4月13日の朝、病床の斎藤の呼ぶ声で、家人が枕元に行くと、水がほしいという。持っていくとゆっくりと飲み干し、みんな次の間にさがってくれと言う。言いつけ通りにいったん次の間へさがった家人らが、しばらくして様子を見に戻ると、斎藤はすでに息を引き取っていたという。

その死を受け、馬場孤蝶は依頼されていた通りに計らい、14日朝の新聞に本人自作の死亡広告が掲載されたのである。

斎藤緑雨は、夏目漱石や正岡子規と同じ、慶応3年(1867)の生まれ。本名は賢(まさる)。正直正太夫という筆名も使った。

明治法律学校を中退後、仮名垣魯文の弟子となり戯作者として出発。いくつもの新聞社を渡り歩きながら、鋭い諷刺や毒舌に満ちた評論や小説を書いた。

斎藤はまた、樋口一葉の作品を後世に残す上でも重要な役割を果たした。森鴎外主宰の雑誌「めさまし草」誌上で、森鴎外、幸田露伴と一緒におこなった匿名の作品合評「三人冗語」で樋口一葉の才能を絶賛した。これをきっかけに、一葉は文壇の注目を集める。一葉の死後、『一葉全集』を校訂出版したのもこの人だった。

掲出のことばは、そんな斎藤緑雨が『青眼白頭』の中に綴ったもの。文筆家として食べていくことの困難を、ユーモアと諷刺にくるんで表現した。筆一本で稼いで二本の箸を操れるはずもない、はじめから数が違うではないか、というわけ。だが、底の底には、文筆家として生きる者の気概が込められてもいただろう。

現代に至るまで、文筆の世界ではよく、「筆は一本、箸は二本」という略された形で引用される。城山三郎なども、教職を辞して専業作家となったとき、しみじみとこのことばを反趨したという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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