今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「私という本妻がいるのに」
--佐藤くら

佐藤くらは、詩人で作詞家のサトウハチローの最初の妻である。旧姓は間瀬。ハチローの父・佐藤紅緑の勧めで、ふたりが結婚し東京・西巣鴨に家庭を構えたのは大正11年(1922)、ハチローが19歳のときだった。紅緑は居所も定まらない息子を心配し、家庭を持たせたら少しは落ち着くのではないかと考えたのだった。

くらは、もともとは紅緑の再婚相手である女優・三笠万里子の付き人をしていた女性だったという。

しかし、ハチローはあてがわれた結婚で、おとなしく家庭におさまっているような人物ではなかった。

結婚後、23歳の頃にはラリルレロ玩具製作所というオモチャの制作会社を作り、ほとんどそちらに入り浸りとなってしまった。当時、ハチローはニセ学生として上野の美術学校に通っていて、10人ほどの美校の学生たちといっしょに巣鴨に家を借り、2階を寝室、1階を工房とし、湯殿に釜をすえて粘土でこしらえたオモチャを焼いたのである。

出来上がったのは、よだれかけをかけたカバや、襟巻きをまいたキリン、クマの筆立て、ポケットがドロップ入れになっているカンガルー、だんだらのジャケットを着た泥棒の人形(銭入れになっている)などだった。すでにくらとの間に子供も生まれ、詩人として仕事をはじめていても、家庭に縛られるより、自由に仲間たちと過ごす時間の方が、ハチローにはどうにも愉しいらしかった。

ハチローと美校生たちは、日本橋や新宿の三越、上野と銀座の松阪屋、大阪大丸、福岡の玉屋といった百貨店で展示即売会を開き、これらの玩具を並べた。値段が安いこともあっておおむね好評で、玩具はほとんど売り切れた。日本橋三越で開催された第1回の展示即売会では、招待日に劇作家の小山内薫がやってきて、泥棒の人形に予約の赤札をつけていったという。

親から押しつけられた結婚への反発もどこかにあったのだろうか。ハチローはその後、女優の歌川るり子(本名・加藤芳江)や江川蘭子(本名・熱田房枝)とも恋仲になった。しかもこれは同時並行の恋愛で、半ば公然と周囲の人にも知られていた。あるとき、都新聞が「蘭子は憂鬱」という見出しのついた記事を掲載した。記事には沈んだ表情の蘭子の写真が付され、ハチローがるり子と新しい所帯を持ったため、蘭子が憂鬱になっていると伝えていた。

西巣鴨の本宅でこの新聞記事を読んだくらは、掲出のように一言、「私という本妻がいるのに」と呟いたという。その呟きの底には、もはや寂しさを通り越して、あっけらかんとした諦めの感情も萌していたのかもしれない。昭和9年(1934)10月には、くらとハチローの協議離婚が正式に成立している。

るり子はその後、懐妊したこともあってハチローの妻として正式に入籍。先妻くらの子も引き取って一緒に暮らした。一方で、欄子とハチローの関係も切れることがなかった。

欄子なしには仕事もできないとハチローは言い張り、確かに秘書的な役回りも果たしていなくはない。しまいには、るり子も嫉妬を捨てて欄子のことを認め、自宅の近所に住まわせるという不思議な関係がつづいていったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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