文/濱田浩一郎

女性が目の当たりにした大坂城籠城戦の恐怖とは?
豊臣秀吉により築かれた大坂城は慶長20年(1615)5月についに落城することになりますが(大坂夏の陣)、落城の光景を目の当たりにしていたのが、淀君(秀吉の側室で、秀頼の母)に仕えていた「きく」という女性でした。きくの回顧録が『おきく物語』ですが、それによると、落城の前、どこからともなく銃弾が飛んできて、女中が撃ち抜かれるという出来事があったようです。女中を貫通した鉄砲玉は台子(茶道具を載せる棚)の脇で止まったとのこと。弾丸が通った畳の縁(へり)は擦り切れていたと言います。どこからともなく飛来する弾丸。あえなく絶たれる命…。この話だけでも籠城戦の恐怖というものが分かるかと思います。女中が撃ち抜かれる出来事があってから、鉄砲玉が飛んでくる方向に幕が張られたと『おきく物語』にはあります。弾丸から城内の人々を守ろうとしたのです。
同書にはこうした戦の怖さのみならず、城内の様も書き留められています。軍評定は、いつも奥まった一室(御内所)にて開かれており、きくがその内容を聞くこともしばしばあったとのこと。そして城内では毎日毎日、餅がつかれていたようです。つかれた餅は、それぞれの局(つぼね)ごとに配布されました。毎日毎日、同じことが繰り返されるので、しまいには配られた餅を取らずに翌日まで置いておくこともあったと言います。その場合は、前日の餅は脇に立てかけられて、新しい餅が置かれたのでした。
さて『おきく物語』の主人公・きくの父親は山口茂左衛門と言い、きくの祖父は山口茂介と言いました。山口茂介は北近江の浅井長政に仕えていました(長政は織田信長の妹・お市の夫)。淀君は長政の娘でありましたので、茂左衛門は淀君が幼少の頃から仕えていたということです。浅井長政は信長に反旗を翻し、最終的には天正元年(1573)に滅亡に追い込まれます。その後、きくの父・茂左衛門は藤堂和泉守高虎に「浪人客分」にて3百石で仕えることになりました。
ちなみに高虎は浅井氏はじめ様々な主君に仕えていくことになりますが、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・羽柴秀長に仕えていたこともありました。大坂の陣において藤堂高虎は徳川方となり、一方、きくの父・茂左衛門は高虎のもとを離れ、大坂方となります。その際、茂左衛門は豊臣家から「御具足」を拝領しますが、後に戦で討ち死にすることになりました。具足を拝領した時、茂左衛門は指物(武士が自身の存在を示すために指している旗)を持っていなかったので、娘のきくに拵えて欲しいと頼んできたとのこと。よって、きくは赤と白の絹布を縫い合わせ、指物を作ることになります。その指物を渡した時、父・茂左衛門は大いに喜んだと言います。
秀長に仕えた藤堂高虎の貧窮振りとは?
さて茂左衛門が仕えていた高虎は当初はとても貧しかったと『おきく物語』にはあります。高虎は初め浅井家の足軽であって、その時、小頭をしていたのが、きくの祖父・山口茂介でした。貧し過ぎて朝食を食べることもできない高虎を不憫に感じた茂介の妻は茶漬けを度々、高虎に振舞ったと言います。高虎はその時の恩を忘れまいと思ったようで「茂介の妻の恩は忘れぬ」と後々まで語っていたとのこと。こうした経緯もあり、高虎は茂介の子・茂左衛門(きくの父)を客分として遇したのでした。
きくは落城寸前の大坂城から抜け出すことになりますが、その際、当初は藤堂高虎の陣を目指そうとしています。大坂方のきくが、徳川方の藤堂の陣を目指そうとしたのにはそのような事情があったのです。
しかし、きくは藤堂の陣には行かずに、途上で出会った常高院(淀君の妹)一行に付いていくことになるのです。和睦の使者として大坂城に入っていた常高院は、きくをはじめとした豊臣方の女中らに「そなたたちは女の身であるが、大坂城にいた者たちなので、将軍(徳川)様からどのような仰せがあるか分からぬ。できるだけ良いように申し上げるようにはするが、将軍様の御命令に背くことはできない。よって覚悟はしておくように」と伝えたと言います。豊臣家の女中であるので、どのような処罰があるか分からない。覚悟しておけと言うのです。常高院の言葉を聞いて女中らは大いに悲嘆したと言います。
しかし、徳川方からの処罰はなく、女中らには「皆、望み次第、どこにでも送り届けよう」との上意が伝えられました。一同は大いに喜びました。きくは都の松丸殿(秀吉の側室。その母は浅井氏の出)のもとに赴き、奉公することになります。その後、結婚し、備前国にて83歳で亡くなったのでした。きくの父は、残念ながら大坂の陣で討ち死にしてしまいますが、娘が城から逃れて、天寿を全うしたことを泉下で喜んだと思います。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











