今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「谷間の空気は清く澄んで、どの木の葉にもダイヤモンドのような朝露がきらめいていた」
--ウォルター・ウェストン
英国聖公会の宣教師ウォルター・ウェストンが初めて日本の土を踏んだのは、明治21年(1888)27歳のときだった。もちろん宣教師としての伝導が仕事であったが、学生時代から登山を趣味としてヨーロッパの山々を登っていたウェストンは、日本の山にも自ずと心ひかれるものがあった。
明治28年(1895)まで足かけ8年の滞在の中で、富士山や槍ヶ岳、浅間山、穂高岳、常念岳、乗鞍岳、御嶽山、木曽駒ヶ岳など、多くの山を登った。そして、帰国の翌年、ロンドンで出版したのが『日本アルプスの登山と探検』。これが、日本の山々の雄大さや森の豊かさを世界に紹介する初めての本となった。
掲出のことばは、二度目の槍ヶ岳登山の出発の朝、島々谷に入ってゆくときの美しい情景を綴ったもので、あとにこんな一節がつづく。
「頭上には高々と聳える松の木の甘い香り、足下の渓流の遠い瀬音、見おぼえのある渓谷の高い山の上に小さな天蓋をのぞかせている紺碧の空、こういうものを見ると、生きていることが嬉しくなってくる」
「生」の喜びにまでつながる山歩き、森歩きの楽しさが、清冽感ととにも伝わってくる。
日本の山々の魅力は、よほど彼の心をとらえたのだろう。
その後、母国で結婚したウェストンは、明治35年(1902)に妻をともなって再び来日。2年間滞在し、このときも繰り返し登山を楽しんだ。さらに、ウェストン夫妻は明治44年(1911)にも来日を果たす。そうして大正4年(1915)の帰国までの間に、ウェストンは相変わらず山登りへの衰えぬ情熱を発揮してみせるのである。
ウェストンと交流のあった登山家の松方三郎(のちの日本山岳会長)は、ウェストンについてこんな談話を残している。
「ウェストンは一面実に頑固なおやじだった。一度思い込んだ事は、雪崩が出ようが、雷が落ちようが、容易には変えない人だった。同時に又、一度心を許した相手に対しては、生涯その信頼を捨てる事がなかった。しかしこの『いっこく』さの底には世にも温かい心情と、抜くべからざる正義感とがあった」
日本人に先駆けて日本の山々の魅力を発見し愛しつづけたウェストンの、堅固にして温かな人柄が偲ばれる。
今日8月11日は「山の日」である。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。