今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「愛嬌というのはね、--自分より強いものを斃(たお)す柔かい武器だよ」
--夏目漱石
夏目漱石が東京帝国大学や第一高等学校の教職を辞し、小説記者(専属作家)として東京朝日新聞に入社したのは明治40年(1907)5月だった。その翌月から4か月間にわたって連載した初めての新聞連載小説が『虞美人草』である。
上に掲げたのは、その『虞美人草』の冒頭、外交官志望の行動的な青年・宗近一と、哲学的な思索を習慣とする青年・甲野欽吾との対話からの引用だ。
従兄弟同士でもあるふたりは、会話を交わしながら山道を歩いている。宗近が「君は愛嬌のない男だね」と言うのに対して、甲野が「君は愛嬌の定義を知っているかい」と受けてから、独自の解釈を披露してみせたのが掲出のことばなのである。
腕ずくでねじ伏せたり、面と向かって強い調子で批判するだけが、相手を打ち負かす方策ではない。暴力や武力から一番遠い方法が、問題を解決する打開策となることもある。
愛嬌やユーモアが、行き詰まった空気をときはなってくれるのである。
大相撲の名古屋場所が、今日23日で千秋楽を迎える。
東の正横綱の白鵬が、千代の富士や魁皇を上回る通算勝利数の記録を達成して円熟の存在感を見せる一方で、宇良(174 センチ、137 キロ)や石浦(173 センチ、118 キロ)といった平幕の若い小兵力士の活躍も印象に残った。とくに、9日目、宇良が横綱の日馬富士を相手に、低い立ち会いからとったりで倒したワザ師ぶりや、8日目、石浦が幕内最軽量の体で、自分の倍近い197 キロの逸ノ城を破った相撲などは見事だった。
鷲羽山、舞の海など、いつの時代も、小柄な力士が巨漢の相手を倒すのを見るのは痛快だ。ただ真正面からぶち当たるだけでは、自分より大きく力の強い相手を打ち負かすことは難しい。彼らの繰り出す多彩で鋭い技やスピード、柔軟な体さばきは、ここで漱石の言う「愛嬌」に代わる「柔かい武器」でもあるのだろう。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。