今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「一体お前は、新聞社員だというが、何か書いてるのか」
--中村是公

夏目漱石と中村是公は旧友だった。死ぬまで互いに「お前、お前」と呼び合う隔意のない間柄だった。

大学予備門の同級生だった頃は、ふたりして江東義塾という私塾で教師のアルバイトをしながら、2畳敷きの北向きの小さな下宿部屋で共同生活を送っていた。

ふたりは私塾から給金をもらうと、そこから、大学予備門の月謝と私塾の食堂に払う食費、それから銭湯代とを差し引いて、残りの金を机の上にごちゃまぜに置いていた。それをふたりで適当に使いながら、仲よく蕎麦を食ったり、汁粉を食ったりして暮らしていた。

中村はボートの選手で、優勝の褒賞として本を購入してもらえることになったとき、自分は本などはいらんからと、漱石のためにシェークスピアの原書をプレゼントしてくれたこともあった。

東京帝国大学では、互いに専攻が別れて、以前ほどの密接な行き来はなくなり、卒業後は漱石は松山へ、中村は台湾へと渡った。それから10年ほどの月日を経て、ロンドンで偶然に再会。金銭的に余裕のあった中村は、貧乏留学生の漱石をあちこちに連れていってくれたという。

ロンドンでの再会から、また7、8年の歳月が流れたある日、突然、中村是公から漱石のもとへ連絡があった。いま東京・築地の料亭「新喜楽」にいるから、これからこっちへ出て来ないか、という呼び出しだった。この頃、中村は満鉄の総裁となっている。一方の漱石は、東京朝日新聞の小説記者(専属作家)として旺盛な執筆活動をしていて、急にそういわれても動けない。ふたりが顔を合わせるのは、もう少し後のこととなった。

このふたたびの再会の折、中村是公が漱石に言ったのが掲出のことば。文豪・夏目漱石に面と向かってこんな台詞を言えるのは、世間広しといえど、中村是公ひとりであったろう。

漱石は漱石で、「南満洲鉄道会社って、一体何をするんだ?」と問いかけ、中村に「お前もよっぽど馬鹿だなあ」と切り返されたという。いい勝負である。

このときから、ふたりの親しい交流が完全に復活した。機会あるごとに、一緒に飲み食いしたり、旅行をしたりした。漱石の葬儀も、中村是公が中心になってとりしきった。中村は漱石没後も、残された家族のもとへ、毎年、晩秋の頃、自ら狩猟に出かけてしとめた雉子や山鳥を届けてくれたという。

そうやって友情を貫きながら、おそらく中村是公は生涯、漱石の小説を1行も読むことはなかったのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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