今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「どうせ死ぬなら舞台の上で死のう」
--川上音二郎
役者にとって舞台の上で死ぬのは本望--これは誰が言い出した台詞であったか。川上音二郎はそれを地で行った。大阪・北浜に自らが築いた小劇場「帝国座」の舞台中央で、明治44年(1911)11月11日に没したのである。
といっても、上演中ではない。川上は少し前から体調を崩し、数日前、腹にたまった4升もの水を抜く手術をした。だが、経過ははかばかしくない。もはや助からぬ命ならば、せめて舞台の上で死なせてあげたい。そう考えた妻で女優の川上貞奴の計らいで、入院中の病院から瀕死の状態のまま担架で運び込まれ、舞台上で果てたのである。
翌日の東京朝日新聞は、その臨終の模様をこう伝えた。
「川上はパチリと眼を開き、数珠持つ手を二三度振り、何か指図するよと見る間に遂に、ニッコと笑いし儘(まま)、眠るが如く長逝せり」
川上は若い頃には自由民権思想に傾き、政府や官憲を批判する演説をぶって、自称184 回も投獄された。その後、「権利幸福嫌いな人に、自由湯(とう)をば飲ましたい。オッペケペッポペッポッポ」と歌うオッペケペ節で一世を風靡したかと思えば、芝居の道に入り、一座を率いて欧米へ渡った。
やがては各地で評判をとり、最後はフランス政府から勲章を授与されるのだが、初めから思惑通りに運んだわけではない。一時は餓死寸前の危機にも瀕した。飢えて痩せ衰えた体に鎧兜をまとい、ホラ貝と陣太鼓のデモンストレーションまでして劇場に繰り込んだ起死回生のシカゴの舞台の前、川上は一座の者たちに、掲出のことばで檄を飛ばしたという。
そして、やがて、そのことば通りの死を全うしたわけである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。