今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「栗子てふ山の岩根を一すじに 貫きてこそ道となりけり」
--三島通庸
「善は急げ」というが「急がば回れ」ともいう。「初志貫徹」というけれど、「臨機応変」や「君子豹変す」ということばもある。そんな言い方で、子どもの私に、ものごとには多様な見方があり、考え方次第で裏表両面があることを教えてくれたのは、小学校教師の父であった。はじめ真意がよくわからなかったが、次第にその意味するところが理解できるようになった。
人間もとらえ方ひとつで、見えてくる顔も評価も別れる。三島通庸(みちつね)なども、その典型であろう。
三島は幕末の薩摩に生まれ、討幕運動や戊辰戦争に参加。明治維新後は各地の県令や警視総監として辣腕をふるった。自由民権運動を推進する立場から見ると、これを弾圧する権力者であり、福島県令時代には「火付け強盗と自由党とは頭をもたげさせず」と豪語したとも伝えられる。そんな三島に対し、暗殺をもくろむ過激な自由党員も少なからずいたという。
その半面、中央政府の中枢にある大久保利通の信任あつく、各地に蟠(わだかま)る反政府の空気を払って文明開化を推し進め、新時代の地ならしに体を張って取り組んだという評価もできる。
とくに山形県令としては、大規模なトンネル工事を含む道路・交通網の整備と殖産興行政策、西洋化を徹底した公共建築物の建造などにより、県民の意識改革と立ち遅れた経済の再生に尽力した。
さらに付け加えるなら、三島は警視総監時代は嘉納治五郎の講道館柔道の普及にひと役買い、五男の三島弥彦が、金栗四三とともに日本人初のオリンピック選手となるなど、スポーツとも縁がある。
三島はまた、和歌を詠むのが好きだったらしい。上に掲げたのは、山形で栗子トンネルの大工事をやり遂げた感慨を三十一文字にしたもの。ほかに、次のような歌も詠んでいる。
「抜けたりと呼ぶ一声に夢さめて 通うもうれし 穴の初風」
「民のためつくす心は陸奥の 山の穴道ふみてこそしれ」
これらの、けっしてうまくはない歌から伝わってくるのは、ともかくも自分の信じた道を曲げず、無骨に仕事に邁進したボッケモンの人柄である。(「ボッケモン」は鹿児島弁で命知らずで勇敢な人)
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。