「子に本を読み聞かせる母が増えれば世の中は明るくなる」(椋鳩十)【漱石と明治人のことば138】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「幼い幼い日の、子どもの心に、金の鈴の音を植えつけてくれる母が、多くなればなるほど、この世の中は、もう少し明るく、住みよい世の中になるであろうと思う」
--椋鳩十

童話作家の椋鳩十が、随筆『命ということ 心ということ』に綴ったことばである。椋鳩十は一時期、鹿児島県立図書館長をもつとめていて、そのとき「母子二十分間読書運動」を提唱し、広く反響を呼んだことがあった。

椋鳩十の胸には、本の読み聞かせを通して、母と子の心に、ひいては人と人との間に、橋をかけたいという願いがあった。読書の喜びを多くの人に知ってもらうきっかけにもなれば、との思いも持っていた。

前掲書に、彼はこうも綴っている。

「母の声を通じて、物語の中に溶け込む、涙ぐんだり、笑ったり、喜んだり、胸をどきつかせた、数々のことは、美しい思い出として心に残ることであろう。いつまでも、いつまでも、母の声とともに、残ることであろう。この思い出は、折にふれて、心の奥で、金の鈴のように、鳴りひびくのだ。この金の鈴の音は、崖ぶちに立った時には、しっかりと、抱きとめてくれるであろうし、失意の心を、なぐさめはげましてもくれるであろうし、初夏の緑風の如く、心を清めてくれるであろう」

椋鳩十本人にも、小学校時代、一冊の本との出会いがあった。悪童だった彼が、ある日、街を歩いていると、担任の教師が向こうからやってきて、「おい、俺といっしょに来い」と声をかけてくる。

またお説教でもされるのかと思いつつ、逃げるわけにもいかずついていくと、行き着いたのは教師の自宅。

先生は書斎に彼を通し、ビスケットとともに1冊の本を前に置いて言った。

「いたずらばかりしておらんと、たまにはこういう本を読んでみんか」

その本は『アルプスの少女ハイジ』。ただし、翻訳者は夏目漱石門下の女流作家・野上弥生子だというあたりが、明治38年(1905)生まれの椋鳩十だからこその話。いずれにしろ、彼にとっては、これが一生忘れられない本となった。

「お爺ちゃん、なぜ、夕やけは、あんなに美しいの」
「この世の中で、一番美しいものは、人が、おわかれをいうときの言葉よ。夕やけが美しいのはのう、おてんとうさまが、山々にむかって、おわかれを、いっているからよ」

ハイジとアルム爺さんの交わす、こんな会話に、椋鳩十は深い感動を覚えた。そして、自分の住む信州伊那谷の美しさに目を向け直すと同時に、純粋に生きることの素晴らしさに心打たれたという。

幼児に教育勅語など暗誦させるより、童話の名作を読み聞かせた方がよほど教育効果があると思うのは、私だけでしょうか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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