今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「いろんな本が枕もとに堆高(うずたか)く積まれてあるのは愉しい」
--堀辰雄
『美しい村』『風立ちぬ』『菜穂子』など、西洋の香気豊かな作品で知られた作家の堀辰雄は明治37年(1904)東京・麹町の生まれ。一高時代に芥川龍之介や室生犀星に師事した。芥川龍之介は夏目漱石の晩年の愛弟子だったから、堀辰雄は漱石の孫弟子ということになる。
東大在学中に、中野重治らと同人誌『驢馬』を創刊。昭和5年(1930)、『聖家族』で新進作家として認められる。このころ肺結核を病んだことから、以降、空気清浄な高原・軽井沢の周辺で多く生活し、ついには定住した。南軽井沢にある軽井沢高原文庫の敷地内には、昭和16年から19年まで、堀辰雄が毎夏を過ごした山荘が移築・保存されている。
長野県軽井沢町追分にも、堀辰雄記念文学館がある。堀辰雄が最晩年の2年間を過ごした小さな家を保存しつつ、傍らに展示用の建物を配し、記念館としているのだ。私自身も近在の森の中に家を持ち、7年余り暮らしていたことがあり、この記念館は繰り返し訪れた思い出深い場所である。堀辰雄夫人の多恵子さんにも、何度かインタビュー取材して、堀辰雄の小説作品の誕生には西洋のクラシック音楽が深く関わっていたというお話などをお聞きした。
堀辰雄が掲出のことばを含む手紙を、友人の矢内原伊作あてに書き送ったのは、この追分の家に引っ越して半年過ぎた頃。
「この冬もずっと無事でいますが寒くなってからは日に二度食事のおりにちょっと床の上に起きるだけ 手を出すのが冷いので本もときどき眺める位が関の山 でもいろんな本が枕もとに堆高く積まれてあるのは愉しい」(昭和27年1月7日付)
病がすすみ、堀辰雄はすでに、ほとんど床に寝ついたままの状態になっていた。読書もままならない。それでも、好きな本がそばにあるだけで心が潤うというのである。
もともとが、「自分がおかれた環境に満足して、そこから喜びを見出していかなければいけない」というのが堀辰雄のモットー。「僕は病気のおかげで得をして来たのだ」とさえ言っていた。
4畳半の寝室や廊下に本を積むのも限界があり、この年の秋には、庭の片隅に茶室風の書庫がつくられた。そこの本棚に、自身の好みの分類を指示して、夫人が少しずつ本を並べていった。ようやく整理が終わった書庫を、床に起き上がって眺めるのも大儀で、堀辰雄は手鏡を使って病床に伏せたまま眺めたという。
そのとき、作家はどれほどの幸福感を噛みしめていただろうか。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。