今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「私は子供の時から、自分は幸福者だ、運のいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した」
--高橋是清
『高橋是清自伝』の中に書かれた一節。
高橋是清には「ダルマ」のアダ名があった。もともとが、丸顔に髭をたくわえ、堂々と恰幅がよく、そのくせどこかユーモラスな容貌から、親しみをこめてつけられたアダ名であった。
一方で、転職歴20回余り、七転び八起きのその生涯もまた、「ダルマ」の名に相応しかった。留学したアメリカでは知らぬまに奴隷として売られ、英語教師や官庁勤めをするかと思えば、零落して芸者の箱屋(三味線運び)も経験し、ペルー銀山の探鉱に失敗して破産の憂き目にも遭った。それでも、経済界で一から出直して日銀総裁となり、さらに政界入りし7度の大蔵大臣、ついには総理大臣にまでのぼりつめ、「ダルマ宰相」と呼ばれたのである。
そんな是清は楽天主義者だった。度重なる挫折やピンチを、生来の楽天主義で乗り越えた。深刻ぶって難しい顔をしていても、仕方がない。自分は運のいい男なのだから、頑張っていればきっとどうにかなるさ、というわけ。そういう「思い込み」というのは、案外、大切なことなのかもしれない。
ただし、そう思えるように、やるだけのことはやるのがこの人。普通の人には思いも寄らぬ発想力や実行力があった。周囲では、「前例のないことは高橋さんに聞け。必ずいいアイデアを出される」ということが当然のように言われていた。
そんな是清は、共立学校時代の正岡子規の先生でもあった。16歳の子規は、是清に「万国史」を習ったという。子規が夏目漱石と出会う6年前の話である。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。