今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「事の失敗に屈すべからず、失敗すれば失敗を償ふ丈(だけ)の工夫を凝(こら)すべし」
--陸奥宗光
明治の外交官・陸奥宗光のことばである。何であれ、ものごとには失敗や挫折はつきもの。それに負けることなく、失敗を教訓にして工夫努力し、やり遂げるべきだというのである。
陸奥はこうも言っている。
「諸事堪忍すべし、堪忍の出来る丈は必ず堪忍すべし、堪忍の出来ざる事に会すれば、決して堪忍すべからず」
事に当たっては、堪忍の心が大切だ、できるだけ耐え忍ばねばならない。それでも、もうこれ以上は無理だと思ったら、そのときは気持ちを切り換えあっさりと諦めればよい。そんな意味だろう。
陸奥宗光は、弘化元年(1844)の生まれ。紀州和歌山藩士・伊達宗広の六男だった。幼名は牛麿。藩内の政争で父が禁固されたこともあり、江戸遊学中に脱藩。陸奥陽之助と名を変え、坂本龍馬率いる海援隊に加わって活躍した。龍馬は陸奥の人物を評価し、「海援隊士の中で、隊からはずれても喰って志をとげられるのは陸奥だけだろう」と語っていたという。
維新後の陸奥は、明治新政府に出仕。外国事務局御用掛を振り出しに、神奈川県令(知事)、駐米公使、農商務大臣、外務大臣などを歴任している。
着目すべきは、この間、明治10年(1877)の西南戦争の折に、土佐立志社の政府転覆計画に加担したとして、4年間の投獄生活を送っていることだ。この獄中で、陸奥は200 冊の本を読破し、ジェレミー・ベンサムの『道徳および立法の諸原理』の翻訳という仕事をなし遂げた。さらに出獄後は、外遊してローレンツ・フォン・シュタインに国家学を学んだ。まさに、「失敗を償ふ丈の工夫を凝した」のである。
その後、駐米公使として、メキシコとの対等条約、アメリカとの新条約調印を果たすのも、挫折によって深めた学びの成果であっただろう。明治30年(1897)8月没。53年の生涯だった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。