年齢を重ねるほど、真正面から本音で助言してくれる人は少なくなります。職場でも家庭でも、立場ができるほど「言ってもらえない」ことが増えるもの。気づかないうちに視野が狭くなったり、考え方が固くなったりするのは、誰にでも起こり得ます。
変化の速い社会をしなやかに生きるには、頭の「可動域」を保つことが大切です。温故知新という言葉のとおり、先人の言葉に触れることで、自分の考えを点検し直すきっかけにもなります。
今回の座右の銘にしたい言葉は「熟読玩味」(じゅくどくがんみ) です。

「熟読玩味」の意味
「熟読玩味」について、『デジタル⼤辞泉』(小学館)では、「詩文をよく読み、その意味を十分に味わうこと」とあります。文章や書物をただ流し読みするのではなく、ていねいに繰り返し読み、その内容をじっくりと味わい理解することを意味する四字熟語です。
「熟読」の「熟」には、「果実がよく熟れる」という意味のほかに、「物事を十分にこなす」「念入りにする」という意味が含まれています。つまり「熟読」とは、字面をただ追うのではなく、内容を完全に理解するまで念入りに読むことです。
一方「玩味」の「玩」には、「手にして大切に扱う」「もてあそぶ」といった意味があり、「味」はそのまま「あじわい」を表します。もともとは食物をよく噛んで、その風味をじっくりと味わうことを指した言葉ですが、そこから転じて、詩文や物事の深い意味を心ゆくまで味わうことを意味するようになりました。
「熟読玩味」の由来
「熟読玩味」の出典として広く知られるのは、中国・南宋の時代の儒学者・朱熹(しゅき、朱子)の言葉です。
朱熹は、書物の読み方について「熟読して、その意味を玩味すべし」と説き、ただ文字を追うのではなく、内容をじっくりと消化し、自分の血肉とする読書の大切さを弟子たちに伝えました。この考え方は「朱子学」として日本にも伝わり、江戸時代の学問・教育の場で深く根を下ろしていくのです。

「熟読玩味」を座右の銘としてスピーチするなら
年齢を重ねての挨拶は、どうしても「過去の功績の自慢話」や「若い世代への説教」になりがちです。これを避けるためには、「謙虚さ」と「これからの未来に向けた前向きな姿勢」を示すことが大切です。
「私はもう十分やってきた」ではなく、「これからは、これまで見落としていたものを大切にしたい」というスタンスで語ることで、聞き手に共感と好印象を与えられます。以下に「熟読玩味」を取り入れたスピーチの例をあげます。
一つのことをじっくり味わうことの大切さを語るスピーチ例
私の座右の銘は、「熟読玩味」という言葉です。「熟読玩味」とは、文章や書物を丁寧に、繰り返し読み、その内容をじっくりと味わい理解する、という意味の四字熟語です。中国・南宋の儒学者である朱熹の言葉に由来し、日本でも古くから学問の心得として大切にされてきました。
この言葉を意識するようになったのは、50代に差し掛かったころのことです。
仕事に追われていたあの頃、私は何かを「読む」ことはしていても、「味わう」ことをすっかり忘れていました。メールを流し読みし、報告書を斜め読みし、積ん読のまま本棚に並べた本たちを横目に、毎日が過ぎていく。情報は増えているのに、なぜか何も残らない、そんな感覚がありました。
あるとき、若い頃に読んだ一冊の文庫本を、何十年ぶりかに手に取りました。読み返してみると、かつては素通りしていた一行が、不思議と胸の奥に刺さってきた。「ああ、これが玩味するということか」と、そのとき初めて実感しました。
人生の後半に入るということは、「速さ」よりも「深さ」を選べる自由を手に入れることでもあると思います。本でも、人の言葉でも、風景でも、ひとつのことをじっくりと味わい尽くす。そんな生き方をこれからも大切にしたいと思っています。
最後に
「熟読玩味」という言葉には、単に本を読むという行為を超えた、人生そのものに対する深い愛情と敬意が込められています。効率やスピードばかりが求められる時代だからこそ、この言葉の持つ豊かな時間の流れは、私たちの心を癒やし、満たしてくれます。50代以降は、これまでの経験が蓄積されているからこそ、一つひとつの言葉が違って見えてきます。若い頃には理解できなかったことが、人生の折り返しを過ぎて、ようやく自分のものになることも少なくありません。そんな年代に、「熟読玩味」はとてもよく似合います。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











