はじめに-信貴山城攻めとはどのような事件だったのか

戦国時代、「悪人」「梟雄(きょうゆう)」と呼ばれた武将がいます。松永久秀(まつなが・ひさひで)です。

将軍暗殺や東大寺大仏殿焼失との関わりでも知られ、織田信長にさえ一目置かれた人物でした。

その久秀が最後に立てこもったのが、大和(現在の奈良県)と河内(現在の大阪府南東部)の国境にそびえる「信貴山城(しぎさんじょう)」です。

天正5年(1577)、久秀は信長に反旗を翻し、信貴山城で籠城戦を展開しました。しかし、織田信忠(おだ・のぶただ)率いる大軍に包囲され、ついに落城。久秀父子は自刃し、松永氏は滅亡します。

この戦いは「信貴山城攻め」と呼ばれ、戦国時代後期を代表する攻城戦の一つとして知られています。また、後世には名物「平蜘蛛釜(ひらくもがま)」を炎の中に道連れにしたという逸話でも有名になりました。

この記事では、「信貴山城攻め」についてご紹介します。

信貴山城址

信貴山城攻めはなぜ起こったのか

信貴山城攻めの背景には、松永久秀と織田信長との微妙な関係がありました。久秀はもともと三好長慶(みよし・ながよし)に仕え、大和支配を進めた武将です。大和の多聞城(たもんじょう)や信貴山城を拠点に勢力を広げ、中央政界にも深く関わりました。

永禄8年(1565)には、足利義輝(あしかが・よしてる)暗殺に関与したともいわれています。

その後、三好氏内部の争いの中で勢力を維持できなくなると、永禄11年(1568)に織田信長へ降伏。以後は信長に従いました。

しかし、久秀は二度反旗を翻します。

一度は許されたものの、天正5年(1577)、再び信長に背き、信貴山城へ籠城しました。信長にとって、裏切りを繰り返す久秀は看過できない存在だったのでしょう。

こうして織田軍による大規模な信貴山城攻めが始まったのです。

関わった人物

信貴山城攻めに関わった主な人物についてご紹介します。

【松永方】

松永久秀

松永久秀
松永久秀

知略に優れ、茶の湯や文化にも通じた人物でしたが、一方で強引な政治・軍事行動でも知られています。信長に降伏した後も再度反乱を起こし、最終的に信貴山城で滅亡しました。

松永久通(まつなが・ひさみち)

久秀の子。父とともに信貴山城へ籠城し、最後まで抗戦しました。落城時には久秀とともに自刃し、松永氏は滅亡します。

【織田方】

織田信長

織田信長
織田信長

天下統一を進めていた織田家当主。久秀の能力を高く評価し、一度は反乱を許したともいわれます。しかし、再度の反逆には厳しく対応し、嫡男・信忠を総大将として信貴山城攻めを命じました。

織田信忠

織田信忠

信長の嫡男。この頃には各地の戦線で活躍し、後継者としての地位を固めつつありました。信貴山城攻めでは総大将として出陣し、久秀を追い詰めます。

この事件の内容と結果

天正5年(1577)、織田信忠率いる織田軍は信貴山城を包囲します。信貴山城は、大和・河内を見渡せる標高437メートルの山城で、尾根に多数の曲輪(くるわ)を持つ巨大な要塞でした。

信貴山上から見た景色
立入(たてり)屋敷
この曲輪は、信貴山城の要として機能した。

しかし、織田軍は周囲の砦や支城を攻略しながら徐々に包囲を狭めていきました。

『多聞院日記』の10月9日の記載には、「信貴城猛火天ニ耀テ見了」とあり、城が激しく燃え上がる様子が記録されています。

翌10月10日、ついに信貴山城は落城。

久秀・久通父子は自刃し、松永氏は滅亡しました。

『多聞院日記』には、「先年大仏ヲ十月十日ニ焼、其時刻ニ終了」とも記され、東大寺大仏殿焼失と同じ日・同じ時刻に久秀が滅んだことを、因果応報のように受け止めている様子もうかがえます。

「信貴山城攻め」その後

信貴山落城によって、織田信長は大和支配をほぼ安定させました。

その後、大和は筒井順慶(つつい・じゅんけい)らを通じて統治され、のちに豊臣秀長が大和を与えられることになります。

一方、松永久秀は後世になるほど人気を集めました。信長を何度も裏切った大胆さ、文化人としての側面、そして「平蜘蛛釜を道連れにした最期」…。史実と伝説が入り混じりながら、現在でも戦国時代屈指の個性派武将として語り継がれています。

まとめ

信貴山城攻めは、織田信長と松永久秀との最終決戦でした。

この戦いは単なる反乱鎮圧ではありません。久秀という「戦国の異端児」が歴史から退場し、織田政権が畿内支配をさらに強めていく、大きな節目でもありました。

秀吉・秀長兄弟が活躍する前夜の畿内情勢として、「信貴山城攻め」を知っておくと、戦国時代の勢力図がより立体的に見えてくるはずです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。

note:@kyoto_monokaki Instagram:@kyoto_monokaki

肖像画/ぐう(京都メディアライン)
写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)

 

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