「平蜘蛛」と聞いて何を思い浮かべますか? 節足動物を想起する人もいれば、松永久秀が秘蔵した名物(由緒ある茶道具のこと)の茶釜を思い浮かべる人もいるでしょう。
茶釜「平蜘蛛」は、松永久秀が織田信長に差し出すよう迫られても応じず、最後は城と運命をともにした… そんな劇的な伝承で、戦国史の中でも強い印象を残す名物です。
茶の湯の道具が、武将の誇りや権力と深く結びついていたことを示す好例ともいえるでしょう。
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、20話のタイトルでも使われています。この記事では、茶釜「平蜘蛛」について詳しく見ていきましょう。

※写真は松永久秀が所有した「平蜘蛛釜」ではありません。
出典:ColBase
「平蜘蛛」は何と読む?
まずは、読み方から確認しましょう。
「平蜘蛛」の読み方は……
「ひらぐも」です。
『日本国語大辞典』(小学館)では、「体が平たい蜘蛛、平身低頭するさま、『平蜘蛛釜(ひらくもがま)』の略」という3つの意味が解説されています。
この記事でクローズアップする「平蜘蛛釜(以下、平蜘蛛)」は、茶の湯で湯を沸かす茶釜の一種で、口が広く、丈が低い、全体に平たい形の茶釜を指します。
形が地を這う蜘蛛を思わせることから、「平蜘蛛」と呼ばれるようになりました。
名物「平蜘蛛」の変遷
ここでは、名物「平蜘蛛」がどのような意味を持ち、どのような変転をしたのか見ていきましょう。
松永久秀、秘蔵の名物
「平蜘蛛」と聞いてまず思い浮かぶのは、やはり松永久秀でしょう。久秀は三好氏のもとで力を伸ばし、大和(現在の奈良県)支配にも関わった戦国武将。茶湯にも通じた人物でした。数々の名器を秘蔵したことでも知られています。
中でもとりわけ有名なのが、この「平蜘蛛」です。

信長が平蜘蛛を求めた理由
織田信長が名物茶器の蒐集に強い関心を持っていたことは、よく知られています。いわゆる「名物狩」です。信長は、名物をただ集めるだけでなく、それを恩賞や贈答にも用い、政治的な道具としても活用しました。名物茶器は、ときに一国一城にも匹敵する価値があると考えられていたほどでした。
そのため、信長が平蜘蛛を欲したとしても不思議ではありません。
天正5年(1577)、久秀が信長に対して二度目の謀反を起こし、信貴山(しぎさん)城にこもった際、信長は「平蜘蛛を差し出せば助命する」という条件を出したと伝えられています。平蜘蛛が、それほどまでに価値のある名物だとよくわかるエピソードです。

信貴山城での最期
しかし、久秀は信長の条件を受け入れませんでした。伝承では、久秀は平蜘蛛を打ち砕き、あるいは釜とともに火中に消えたとされます。細かな経緯には異説もありますが、少なくとも「名物を信長に渡すくらいなら、自らの最期とともに失わせる」というイメージが、後世に強く刻まれました。
この逸話は、平蜘蛛の名を高めただけでなく、松永久秀という人物像にも大きな影響を与えています。策略家、反骨の武将、そして名物に強く執着した文化人…。平蜘蛛の話は、そうした久秀像を象徴するエピソードとして語り継がれてきました。

最後に
「平蜘蛛」という少し不思議な名の奥には、茶の湯の美意識だけでなく、武将の誇りや権力への意識までもが込められていることが伝わってきました。2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の時代をより深く味わう上でも、知っておきたい戦国名物の一つだといえるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
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●肖像画/ぐう(京都メディアライン)
●写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)











