文/梶 尚志(総合内科専門医、医学博士)

写真はイメージです。

「最近、何もないところでつまずく」「横断歩道を渡り切る前に信号が点滅してしまう」「以前より歩幅が狭くなった気がする」。これらは、「年齢のせい」と片づけられがちな歩き方の変化ですが、実は脳の健康を映す大切なサインであることがわかってきました。

では、具体的にどのようなことなのか解説していきます。

歩行速度の低下と認知機能の関係とは

歩くという動作は、足の筋肉だけで行っているわけではありません。目で周囲を確認し、耳で車の音を聞き、足裏から地面の感覚を受け取り、脳が瞬時に情報を処理して、姿勢や歩幅を調整しています。

さらに、目的地を覚え、信号を判断し、距離を測る力も必要です。つまり「歩く力」は、筋肉、骨、五感をともなった神経=「脳」の総合力なのです。

医学研究でも、歩行速度や歩幅と認知機能の関係は繰り返し報告されています。高齢者を対象としたメタ解析では、認知機能が低下している人では歩行速度が遅い傾向があり、軽度認知障害、軽度認知症、中等度認知症へ進むほど歩行速度の低下が大きいことが示されました。(※1)また、歩く速さが遅い人ほど、その後の認知機能低下や認知症リスクが高いという前向き研究もあります。(※2)

※1:Dumurgier Journal of Gerontology, 2017
※2:Minghui Quan et.al J Gerontol A Biol Sci Med Sci, 2016

なぜ歩き方が脳と関係するのでしょうか。

それは、歩行が「脳の処理能力」を反映するからです。たとえば人混みでぶつからないように歩く、段差をまたぐ、会話しながら歩く。これらは単純な筋力だけではできません。脳の前頭葉という部分が注意を配り、小脳がバランスを整え、脳の基底核という部分が動作をなめらかにします。つまり、歩行速度が落ちる背景には、筋力低下だけでなく、こうした脳内ネットワークの働きの低下が隠れている可能性があるのです。

歩幅が狭くなると、脳への刺激が減少し負のループに陥る

特に注意したいのが「歩幅」です。足を前に運ぶ力が弱くなり、足を上げる力も弱くなると、歩幅が狭くなります。歩幅が狭くなると、姿勢も前かがみになりがちで、すり足のようになります。

すると、ちょっとした段差などでも転倒しやすくなります。そして、転倒が怖くなると外出が減り、外出が減ると筋肉が落ち、さらに転倒リスクが増え、社会参加の頻度も減ります。こうなると、脳の刺激が極端に減ってきます。こういった悪循環は、認知症予防の観点からも避けたい流れです。

筋肉は“脳を守る臓器”でもある

ここで鍵になるのが筋肉です。

近年、筋肉は単なる「体を動かす組織」ではなく、さまざまな物質を分泌する内分泌器官として注目されています。筋肉から分泌される「マイオカイン」という物質は、運動によって筋肉が刺激されると、全身に働き、炎症を抑えたり、糖代謝を整えたり、脳の神経細胞を守ることが報告されています。(※3)
運動が認知症予防に役立つと考えられている背景には、血流改善だけでなく、筋肉と脳の情報交換があるのです。

※3:Kirk B et.al Curr Osteoporos Rep. 2020 Aug

「歩ける体」を支える栄養とは

1)中高年こそ「たんぱく質不足」に注意

ただし、ただ歩けばよいというわけではありません。筋肉の材料が不足していれば、いくら歩いても筋肉は増えにくくなります。中高年以降にまず意識したいのは「たんぱく質」です。欧州臨床栄養代謝学会(ESPEN)の高齢者の栄養ガイドラインでは、高齢者のたんぱく質摂取は少なくとも体重1kgあたり1日1gを目安に、病気や活動量に応じて調整することが推奨されています。体重60kgなら1日60g程度です。これは肉や魚を少し食べるだけでは決して達成できない量です。

朝食がトーストとコーヒーだけとか、昼は麺類のみ、夜は野菜中心という食生活では、エネルギーは足りていてもたんぱく質が極端に不足してしまいます。卵、魚、肉、大豆製品などを毎食、少なくとも2品取り入れることが大切です。筋肉は一度にまとめて作られるものではないため、朝・昼・夕に少しずつ材料を届けるほうが効果的なのです。

2)鉄不足は脳と筋肉の両方に影響する

次に重要なのが鉄です。鉄は赤血球の材料であり、酸素を全身に運ぶ役割があります。鉄が不足すると、息切れ、だるさ、集中力低下が起こりやすくなります。高齢者を対象とした研究では、鉄の状態が気分、記憶、身体機能と関連することが報告されています(※4)。鉄不足は、単に貧血の問題にとどまらず、脳と筋肉の両方に影響する可能性があるのです。

※4:Carlos Portugal-Nunes et.al 、Nutrients, 2020

3)転倒予防にも欠かせない「ビタミンD」

さらにビタミンDも見逃せません。ビタミンDは骨の栄養素として知られていますが、筋肉機能にも関わります。ビタミンD不足は筋力低下や転倒リスクと関連し、サルコペニアの予防の観点からも注目されています。オゾン層の破壊から紫外線の影響が強くなり、日光を浴びる機会が少なくなっている昨今、魚をあまり食べない人、屋内で過ごす時間が長い人に、ビタミンDは不足しやすい栄養素です。

では、日常の食生活では何から始めればよいのでしょうか。

まずは“今の食事に足す”ことから

食事では、朝に卵や納豆、昼に魚や肉、夜に豆腐や鶏肉など、毎食たんぱく質を入れること。鉄を意識するなら赤身肉、かつお、まぐろ、あさり、小松菜などを活用します。ビタミンDは鮭、さば、いわし、きのこ類に含まれます。食事だけで不十分な場合は、血液検査で状態を確認したうえで、サプリメントによる補充を検討します。

特に食が細い人は、汁物に卵を落とす、味噌汁に豆腐を増やす、間食を菓子ではなくヨーグルトにするなど、「今の食事に足す」方法が続けやすいでしょう。

今日からできる「歩き方のチェック」と「歩き方」

歩幅を“半歩だけ”広げてみる

第一歩は「歩幅を少し広げる」という意識を持つことです。普段より半歩だけ大きく踏み出す意識で十分です。次に、椅子からの立ち座りを1日10回、ゆっくり行います。太ももとお尻の筋肉を使うため、歩行の土台づくりになります。余裕があれば、散歩中に「少し速く歩く区間」を30秒だけ入れてみましょう。

運動が苦手な人は、特別なトレーニングを始める必要はありません。買い物の帰りに少し遠回りをする、エレベーターを待つ間にかかと上げをする、テレビを見ながら椅子を使ってスクワットをする、など、日常生活で続けられる小さな運動で十分です。脳は急な頑張りより、毎日の反復トレーニングを好みます。筋肉も同じです。

認知症予防は“毎日の小さな確認”から

日々の確認法としては、「いつもの道で変化を見る」ことをおすすめします。以前は楽に上れた坂道で息が切れる、駅までの時間が長くなった、スーパーの中でカートに頼るようになった。こうした生活の中の変化は、検査数値の変化より早く体の衰えを教えてくれることがあります。スマートフォンの歩数計で歩数だけを見る人は多いですが、認知症予防の観点では歩数に加えて「速さ」「歩幅」「外出頻度」も大切です。

「左右差」がある歩き方には注意

もう一つ、歩き方を見るときに大切なのは「左右差」です。片方の足だけ出にくい、方向転換でふらつく、足音が片側だけ大きい、靴底の減り方が極端に違う。このような変化がある場合、筋力低下だけでなく、脳血管障害、パーキンソン病、脊柱管狭窄症、末梢神経障害などの基礎疾患が関係することもあります。急に歩き方が変わった、片側の手足に力が入りにくい、ろれつが回らない、顔のゆがみがある場合は、様子を見るのではなく、すぐに医療機関を受診してください。認知症予防の前に、治療すべき病気を見逃さないことが重要です。

歩幅の変化は未来の健康を守るヒント

歩行は「認知予防の課題」と組み合わせると脳への刺激が増えます。たとえば散歩中に季節の花を三つ探す、昨日食べたものを思い出す、100から7を引きながら歩く、など、脳を使いながらあるくことです。ただし、ふらつきやすい人が無理をすると転倒につながるため、安全な場所で短時間から行ってください。目的は難しい計算をすることではなく、体を動かしながら、習慣的に脳を使うことです。

歩き方の変化は、老化の結果であると同時に、未来の健康を変える入り口でもあります。歩幅が狭くなった、つまずきやすい、歩くのが遅くなったと感じたら、それは脳と筋肉からの小さなメッセージです。食事で材料を整え、軽い運動で筋肉を刺激する。その積み重ねが、脳を守る生活習慣になります。

文/梶 尚志(かじ・たかし)

梶の木内科医院 院長・七夕医院総院長。
総合内科専門医、腎臓専門医、家庭医、日本抗加齢医学会専門医、健康スポーツ医。
1989年、富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業。2000年、岐阜県可児市に梶の木内科医院開設。年間約5万人の患者を診察する中で、通常の診察では解決できない不調が多いことに危機感を感じ、改善策を模索。分子整合栄養医学との出会いをきっかけに、不調の原因が栄養状態にあることを確信する。2025年7月、新たに栄養療法に特化した七夕医院名古屋分院を開設。大人から子どもまで栄養学的なアプローチで治療と生活指導を行い、不調の改善に取り組んでいる。

『更年期の不調の原因は栄養不足が9割』
梶 尚志著
1595円
あさ出版

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
6月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

市毛良枝『百歳の景色見たいと母は言い』

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店