
普段は仲のいい夫婦でも、妻のイライラが嵐のように夫に押し寄せてくる、そんなことは、どこの家庭でもよくあります。
何を言っても火に油。かといって何もしなければ、どうやらそれもまた、癇に障るらしい。
「いったい、どうすればいいんだ…」
もしもこの悩みについて、性格や夫婦仲のせいにせず、体からのサインとして理解ができたら…。その嵐を、おおらかに受け止めることができるかもしれません。
本連載では、国際中医専門員である志村幸枝先生に、中国の伝統医学の知恵から、体の違和感について、そのサインを読み解いてもらいます。
今日の相談者は、ふだんは奥様と一緒に相談にみえる50代の男性。今日はひとりでふらりと立ち寄ったようです。
ちょっと覗いてみましょう。
【今日のお悩みカード】
相談者|52才男性(エンジニア・技術職)
症状|妻(46才)が、時折ひどくイライラしたり、落ち込んだりする。自分が悪いのかと不安になる。
家庭内の嵐
相談者はふとため息をついて、こんな話を始めました。
「先生、妻のことなんですが…。いつもじゃないんです。でも時折、どうしてもイライラが止まらないことがあるようで。家事の負担や、仕事の悩みも重なっているんだとは思うんですが…。この前なんて、僕の貧乏ゆすりがイライラすると言って怒られまして。
不思議なのは、妻が冷静なとき、こんなことを言うんです。
『普段なら受け流せる些細なことが、感情を逆なでされるようで我慢ならなくなる』って」
ため息をつきながら、相談者は続けます。
「よかれと思って、家事を手伝おうとキッチンに立てば、『邪魔だからやめて』なんて言われたり…。黙って静かにしていれば、『あなたは、なにもしない』と怒られるし…。
地雷がどこにあるのか、皆目わからない。
妻のイライラに対して、僕にできることがあるなら、知りたいです」
もう一度小さなため息をついた彼に向かって、志村先生は深く頷きます。包み込むような明るい声で言いました。
「よくぞ、話してくれました。ご主人、じつはそれ、中医学では『よくある悩み』のひとつです。私たちは、『肝鬱(かんうつ)』という表現で呼びます。
でも、こうしてご自身から話を聞きに来てくださるなんて、本当に素晴らしいことですね」
そう言いながら先生は、なにやら嬉しそうな様子で、話し始めたのでした。
「肝鬱女子」って、知ってる?
「専門家同士の中で、よく上る話題に『肝鬱女子』があります。
中医学でいう『肝(かん)』とは、自律神経や情緒を司る働きのこと。この『肝』が滞ってしまう状態を、『肝気鬱結(かんきうっけつ)』、略して『肝鬱』と呼びます。
そしてまた、『肝』と非常に深い結びつきがあるのが、女性の体です。東洋医学の古典『素問(黄帝内経)』に、『女性は肝を本とする』と記されているほど。
月経・妊娠・出産など、女性特有の『生理』を支える働きは、『肝』が担っています。なかでも、女性には月に一度の『月経』がありますよね。子宮内膜が増殖したかと思えば、月に一度、それが剥がれ落ちる。この大きな変化を、『肝』がコントロールしているわけです。
つまり、男性に比べて、女性は常に『肝』がフル稼働している状態。それだけ負担も大きいので、失調として現れやすくなる。
だからこそ、ストレスや疲れが重なったとき、女性は『肝鬱』に陥りやすい、といえます」
そのロジックに圧倒され、相談者は思わず黙り込んでしまいました。そんな彼に向かって、志村先生は優しく言います。
「奥様ご本人だって、本当はイライラしたくないんです。だから、自分の中で荒ぶる感情を、押し込めるだけ押し込んで、そして限界を超えたとき、爆発してしまう。
傍から見たら、突然の爆発に見えますから、ご主人の当惑はもっともです。でも、そのギャップに一番戸惑っているのは、奥様ご本人かもしれません。
これは、性格の問題ではありません。体質に関わる『肝鬱』という切り口で、問題を見てみましょう」
じつは、あなたも「肝鬱」かも?
ジッと黙ったまま、聞き入る相談者に向かって、志村先生は意外な話を始めました。
「ここまで女性に対しての話をしてきましたが、『肝鬱』は男性にもあります。イライラしたり、怒りが止まらないときって、誰でもありますよね。
ご自分の場合も一緒に思い浮かべながら、次の項が当てはまらないか、確かめてみてください」
メンタル| 理由もなくイライラする、情緒が不安定になる、落ち込みやすい。
お腹・胸| 脇腹や胸が張るような感じがする、ゲップやガスが増える。ため息も。
のど| 何かが詰まっているような違和感がある。
睡眠| 寝つきが悪い。歯ぎしりや、食いしばりがある。
「いかがでしょうか?」
相談者は、まだ半信半疑の様子ながら、口を開きました。
「仕事が忙しくて、ストレスがかかっているときに、『歯ぎしりがうるさい』と、妻に指摘されることがあります。 そういうときって、イライラして落ち着かないんですよね…。それが、『肝鬱』ですか…」
炭酸入りペットボトル、内部の圧力
志村先生は、さらに続けます。
「『肝鬱』は、症状が進むにつれ、大きく2つの段階として考えることができます。
炭酸入りのペットボトルをイメージしてみてください。
激しく振られたペットボトルの中では、ガスの圧力がどんどん高まっていきますよね。ここからは、そのガスをイメージして考えていきましょう」

【爆発型】感情の表出
「不用意にペットボトルのフタを開けてしまうと、中に詰まった感情エネルギーが抑えきれず、勢いよく噴き出します。イライラが止まらない、周囲との摩擦が増える—そんな結果として表出します。
このタイプに大切なのは、少しずつガスを逃がすこと。
感情を一気に爆発させるのは、本人も周囲もお辛いことですから、少しずつ発散できる環境を整えてあげることが、ケアになります。
ただ、【爆発型】は、感情を発散できているぶん、体への影響は少ない傾向があります。」
【抑圧型】感情の溜め込み
「こちらは感情を外に出せず、ひたすら内側に押し込んでいる状態ですね。ペットボトルの炭酸が抜けないまま、内部の圧力だけが高まっていくイメージです。
素直に怒りを伝えることが苦手だったり、感情をうまく外に出せない場合、表面は穏やかに見えても、身体の内側はパンパンに張っています。これはお腹の張り、筋張ったような体の痛み、眠れないなど、不定愁訴として体がサインを出し始めます。
だからこそ、感情が爆発する前に、別の出口を作ってあげることが助けになります」
【混合型】
「もちろん、混合タイプもあります。小爆発もするけど、抑え込んでもいる。そんな両方の自覚がある方が大半かもしれませんね。
怒りの感情と上手に折り合いをつけながら、別の形で発散できるようになれば、周囲との摩擦も減り、自分の身体も傷めずに済む。それが、『肝鬱』と上手につきあう方法です。
ご主人から見て、奥様はどのタイプに近いですか?」
志村先生に問いかけられ、相談者はしばらく考えてから、ゆっくりと口を開きました。
「妻が怒る時は、まさに炭酸が溢れるようです。でも、ムシャクシャする気持ちをジッと黙って溜めこむタイプは、私自身に当てはまるかもしれません」
そう言って、相談者は再び考え込んでしまいました。
今日からできる養生
視線を下にむけたままの相談者にむかって、志村先生は語り始めます。
「ひとつ希望をお伝えすると、『肝鬱』は、先手を打って対処することで、その度合いを和らげることができます。つまり、嵐が来る前に、備えることができるんです。
どの段階でも共通して言えるのは、少しずつ発散すること、そして、溜めないことです。
対応策も、炭酸入りのペットボトルで考えてみましょう」
【その1】軽い運動と笑い
「パンパンに張ったペットボトルを安全に開けるには、少しずつ炭酸を抜きますよね。奥様の中に溜まったエネルギーも、同じように小出しにしてあげることが大切です。
身体を動かすことは、その最もシンプルな方法。おすすめは、両腕を上げてバンザイの状態でスキップです。脇の下から腕にかけて伸びることで、経絡が刺激され、詰まった気が巡り始めます。

その姿に、思わず自分で笑ってしまうかもしれませんよね。でも、その笑いもまた、立派な養生なんです。深呼吸や、愉快な体験、そして声を出して笑うこと。そんな生活の中にある些細なことが、溜まったガスを少しずつ逃がしてくれます」
先生は「ただし」、と付け加えます。
「発散する気力さえ残っていないほど疲れ果てているときは、話が別です。そのときは、まず身体をしっかり休ませることが最優先です」
【その2】睡眠の確保
「『肝鬱』のケアは、十分な睡眠なしには語れません。何より先に、睡眠を大切にすることが、基本中の基本です。睡眠が満たされていない、それだけでもイライラが収まらないことって、ありませんか?
睡眠が満たされると、感情の波が穏やかになることは多いので、ぜひ試してみてください」
夫が持つべきは「心の余裕」
しばらく黙って聞いていた相談者が、ゆっくりと口を開きました。
「なるほど…。僕が何か悪いことをしたわけじゃなく、彼女の体内で巡りが悪くなっている。だから、そこをケアしてあげる、ということですね。
自分だって、寝不足や空腹だと、それだけで不機嫌になってしまうことがあります。女性の体には、さらに負担要因があるんですね…。休息が足りなくてイライラしているんだったら、思ったよりも、シンプルなことかもしれない…」
少し間を置いて、ぽつりと続けます。
「正直、どう接すればいいのか、まったくわからなくて。妻の顔色を見て、僕自身も気を張るから、じつはかなり疲れていたのかもしれません」
イライラも、人間らしくてかわいい
神妙な面持ちでつぶやいた相談者に、志村先生はこんな話を添えました。
「夫婦歴の長いベテランになると、奥様の不機嫌を、慈しみの目で見守ることができる人もいます。
怒りをぶつけられても、簡単には動じません。いつもどおり淡々と、自分の生活を続ける。心づもりとしては、むしろ、『存分にイライラさせてあげよう』くらいがピッタリかと。そういう大らかさにこそ、奥様は深いところで安心されると思いますよ。
それに『肝鬱』の傾向がある方は、調子のいいときは伸び伸びとして明るく、頭の回転も速い。パワフルな方が多いんです。そしてなにより、『怒り』のエネルギーは、うまく使えば強力な原動力にもなります。
ぜひ、そんな魅力を無理に押し込めず、人間らしさとして丸ごと受け止めてあげてください。
もしも、そんな感情の波さえもかわいく感じられるようになれば、それはもう最高のパートナーシップかもしれませんよ(笑)」

おわりに
最後に、志村先生は言います。
「生理前後は特に、気持ちが揺れるものです。人知れず悩む女性は本当にたくさんいらっしゃいます。でも、そんなイライラについて、男性が相談に来てくれる。そんな時代がようやくきたんだ、と思うと嬉しいです」
明るく微笑む志村先生に、相談者は照れ臭そうに返します。
「また、妻と一緒に来るので、相談させてください。今日はありがとうございました」
来たときよりも、足取りが少し軽くなった相談者の背中を、志村先生は見送ります。奥様を支えようとしていた旦那様ご自身もまた、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれません。
パートナーの不調を理解しようとする、その優しさこそが、何よりの特効薬ですね。
※この記事は、国際中医専門員・志村幸枝先生が長年の相談経験に基づき、実例を再構築したものです。プライバシー保護のため設定は変更していますが、身体の悩みと見立ては現場の知見に根ざしています。
中医学において、身体の状態は千差万別です。紹介した養生法は一例であり、効果を保証するものではありません。ご自身の身体をより正確に知りたい方は、ぜひお近くの漢方薬店など、専門家を頼ってみてください。
身体に明らかな不調がある場合は、自己判断せず速やかに医療機関を受診してください。
●監修/志村幸枝

国際中医専門員。CoCo美漢方神戸勤務。登録販売者。漢方相談歴は28年。身体の変化を感じる年頃になり、自分を実験台に漢方と向き合う毎日。日常に絡めた喩え話で「伝わる中医学」をSNSで発信している。お酒を飲みながら美味しいものを食べている時が一番幸せ。趣味はおつまみ作り。
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●構成・文/もぱ(京都メディアライン)











