日本との出会い、そしてセツとの結婚

明治23年(1890)4月、39歳のときに『ハーパース・マンスリー』誌の特派員として来日。当初は日本の風土や文化を取材する目的でしたが、古きよき日本の面影を色濃く残す松江での暮らし、そして後に妻となる士族の娘・小泉セツとの出会いが、八雲の人生を大きく変えることになります。

同年8月には雑誌社との契約を打ち切り、自らの意思で島根県尋常中学校・師範学校の英語教師として松江に赴任。そこから彼の「日本人のような生き方」が始まりました。

翌年の夏ごろ、召使いとして雇っていた武家出身の娘・セツと結婚。ふたりは松江の旧武士屋敷で短いながらも濃密な日々を過ごします。苔むす庭、風にそよぐ竹林、蛙の声までもが愛おしく記された随筆には、八雲の深い日本愛がにじみます。

「私はこの住まいを、あまりにも好きになりすぎた」と綴った言葉からは、松江の暮らしが彼にとってどれほど特別なものであったかが伝わってきます。

小泉八雲旧居

英語教師、そして作家としての活躍

松江を離れた八雲は、熊本の第五高等中学校(のちの第五高等学校)に赴任し、引き続き英語教師としての道を歩みます。在職中には九州各地や京都・奈良・中国地方などを旅し、日本の風土・文化への理解を一層深めていきました。

その後、神戸の英字新聞『クロニクル』紙に入社し、社説や随筆、外国記事などを執筆しますが、再び教職へと戻る決意をします。

明治29年(1896)2月、八雲は正式に日本に帰化し、妻・セツの姓を継いで「小泉八雲」と名乗ります。帰化の背景には、日本文化への強い共感とともに、セツとの家庭を大切にしたいという深い愛情がありました。

同年9月からは、東京帝国大学(現・東京大学)文科大学の英文学講師として教壇に立ちます。自宅は市ヶ谷富久町の円融寺(通称・瘤寺)の隣にあり、八雲はこの寺の墓地で瞑想にふけりながら、講義や創作の構想を練っていたといいます。ここで『影』『骨董』などの代表的著作が生まれました。

八雲の講義は、進化論や社会批評を土台に、文学の芸術的な味わいを伝える革新的な内容で、多くの学生に深い影響を与えました。門下には、後に文学界を代表する上田敏(うえだ・びん)、戸川秋骨(とがわ・しゅうこつ)、厨川白村(くりやがわ・はくそん)らが名を連ねています。

八雲は、単なる語学教育にとどまらず、文学を通して世界を見る視点を日本の学生に開いたのでした。

代表作『知られざる日本の面影』『怪談』など

小泉八雲の著作の多くは、日本に渡ってからの体験に基づくものです。中でも、松江での生活や日本文化との出会いを綴った『知られざる日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』は、彼の日本への深い愛情と観察眼が詰まった代表作として知られています。

さらに、古典や民間伝承をもとに創作された短編集『怪談(KWAIDAN)』は、八雲文学の真骨頂。なかでも「耳なし芳一」「雪女」「むじな」などの作品は、幻想的な世界観と日本的な情緒が織り交ぜられ、今なお世界中の読者を魅了しています。

これらの作品の背景には、妻・セツが幼い頃から聞いてきた出雲地方の昔話や風習があり、彼女が八雲に語って聞かせた数々の民話が、創作の重要なヒントになったと伝えられています。セツの存在がなければ、八雲の作品世界はここまで豊かにはならなかったかもしれません。

晩年と死

東京帝国大学を退職した後、小泉八雲は早稲田大学(当時の東京専門学校)で教鞭を執りましたが、明治37年(1904)9月26日、狭心症のため急逝しました。享年54歳。彼が最期を迎えたのは、東京・西大久保の自宅でした。雑司ヶ谷霊園に葬られ、セツの墓も並ぶ墓地には今も多くのファンが訪れています。

八雲の死後も、その知的遺産は教え子たちによって受け継がれ、講義ノートをもとに『人生と文学』『英文学史』などの書籍が出版されました。生涯をかけて日本を見つめ続けたその姿勢と、異文化を深く理解しようとする真摯なまなざしは、今もなお多くの人々の心を打ち続けています。

小泉八雲の後ろ姿のレリーフ(カラコロ広場)

まとめ

小泉八雲は、西洋の価値観にとらわれず、日本人の精神性を深く見つめた稀有な存在でした。松江での静かな生活、妻・セツとのあたたかい家庭、そして日本文化への真摯なまなざし。それらは、彼の随筆や創作の根底に流れる「敬意」と「共感」として読み手に伝わります。

朝ドラで描かれるセツの人生も、きっと八雲のまなざしと重なることでしょう。彼女の語った物語が、世界へと広がっていったように――。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本近代文学大事典』(日本近代文学館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)

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