はじめに-笠置シヅ子とはどんな人物だったのか
笠置シヅ子(かさぎ・しづこ)は、『東京ブギウギ』を大ヒットさせた昭和時代の歌手です。のちに女優として映画やテレビでも活躍しています。
「ブギの女王」とも呼ばれていましたが、実際の笠置シヅ子はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
連続テレビ小説第109作『ブギウギ』では、笠置シヅ子をモデルにした花田鈴子(演:趣里)が、歌の才能を発揮し始め、やがて戦後のスターになっていく様子が描かれます。
目次
はじめに―笠置シヅ子とはどんな人物だったのか
笠置シヅ子が生きた時代
笠置シヅ子の足跡と主な出来事
まとめ
笠置シヅ子が生きた時代
笠置シヅ子は、大正3年(1914)に生まれます。この年は、第一次世界大戦が勃発するなど、世界的規模の戦争が繰り広げられた激動期でした。
そんな時代に、笠置シヅ子は産声を上げ、日本中に元気な歌声を届けていきます。
笠置シヅ子の足跡と主な出来事
笠置シヅ子は、大正3年(1914)に生まれ、昭和60年(1985)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
香川県に誕生後、すぐに養女に出される
笠置シヅ子、本名・亀井静子は、大正3年8月25日に香川県大川郡相生村(=現在の東かがわ市)に誕生します。生後まもなく、大阪市福島区で米や薪炭(しんたん)業を営む亀井音吉の養女となります。
小学校卒業と同時に、大阪松竹楽劇部へ
昭和2年(1927)には小学校を卒業すると同時に、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入ります。当初は「三笠静子」の名で初舞台を踏み、昭和9年(1934)にはレコードデビューを果たします。その後、昭和10年(1935)に「笠置シズ子」の名に改名するのです。
昭和13年(1938)には、東京へ。松竹楽劇団の旗揚げに参加しています。この頃から、作曲家・服部良一と組んでジャズ歌手として売り出されるのです。見るものに強い印象を与える歌い方は、注目を集めました。しかし、戦時中ということもあり、当局からの指導が入り、たびたび公演中止せざるを得ない状況が続きました。
昭和14年(1939)には、松竹映画『弥次喜多大陸道中』で映画デビューもしています。
戦後、『東京ブギウギ』で一世を風靡する
昭和20年(1945)、日本の無条件降伏文書への調印で、第二次世界大戦は終結しました。重苦しい空気が日本を覆う中、昭和22年(1947)に服部良一作曲の『東京ブギウギ』をシズ子が歌い、日本全国が熱狂する爆発的なヒットとなります。力強く大きな声を張り上げて歌い踊るステージは、敗戦後の暗い世相を一変させました。
その後も服部良一とコンビを組み、『東京ブギウギ』の3年後に出した『買物ブギー』はレコード45万枚を売り上げます。「ワテホンマニヨーイワンワ」は流行語にもなりました。その後も、ブギの名曲を次々とリリースし、“ブギの女王”として名を馳せることになるのです。
しかし、ブギが下火となり、シズ子も、昭和31年(1956)1月に『たよりにしてまっせ』を発売したのを最後に歌手を引退します。
【「笠置シヅ子」に改名し、女優に専念。次ページに続きます】