柿本人麻呂(かきのもとの・ひとまろ)は、飛鳥時代後期から奈良時代初期にかけて活躍した宮廷歌人です。生没年は明確ではありませんが、持統天皇から文武天皇の時代に宮廷で歌を詠んだとされています。
『万葉集』には人麻呂の歌が約90首収められており、その中には天皇や皇族を讃える荘厳な長歌から、個人的な感情を吐露する抒情歌まで、幅広い作品が残されています。特に、言葉の選択と修辞技法の巧みさから、後世に「歌聖」と称えられるようになりました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
柿本人麻呂の百人一首「あしびきの~」の全文と現代語訳
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
【現代語訳】
山鳥の長く垂れ下がった尾のように、こんなにも長い長い秋の夜を、私はたった一人で寂しく寝るのだろうか。
この歌の最大の特徴は、「ながながし」という言葉を導き出すための、巧妙な序詞の技法にあります。「あしびきの」は「山」にかかる枕詞で、「山鳥の尾の しだり尾の」は、すべて「ながながし」を引き出すための修飾表現です。山鳥の雄は実際に長い尾羽を持ち、それが垂れ下がる様子を重ねることで、「長い」という言葉に視覚的なイメージと重量感を与えています。
夜は雌雄が谷を隔てて別々に寝ると信じられていた山鳥。これが「ひとり寝る」寂しさとも重なります。単に「長い夜を一人で寝るのは寂しい」と言うのではなく、山鳥の生態や尾の長さという具体的なイメージを用いることで、恋しい人に会えない夜の、主観的な時間の長さを普遍的な詩へと昇華させているのです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
柿本人麻呂が詠んだ有名な和歌は?
柿本人麻呂の才能は、この一首にとどまりません。彼の代表作を二首、ご紹介します。

東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ
【現代語訳】
東の野に、夜明け前の陽光が差し込んでいるのが見え、ふと振り返ってみると、西の空には月が傾きかけている。
これは、人麻呂が軽皇子(のちの文武天皇)にお供して、阿騎野(現在の奈良県宇陀市)へ狩りに出かけた際に詠んだ歌です。東の空に朝日の光(かぎろひ)が昇り始めるのが見え、振り返ると西の空には月が傾いている。
夜明けの一瞬の荘厳な風景を、簡潔な言葉で切り取った名歌です。天と地、東と西、月と日という対比が鮮やかで、宇宙的な広がりすら感じさせます。
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ
【現代語訳】
近江の湖の夕暮れに 波打ち際で餌をついばむ千鳥よ、こころがしなうほどに昔のことが思われる。
栄華を極めた都が荒れ果てた姿に、千鳥の物悲しい鳴き声が重なります。「心もしのに(心がしおれるように)」という言葉に、過ぎ去った時代への深い哀惜の念が込められています。
柿本人麻呂、ゆかりの地
柿本人麻呂ゆかりの地を紹介します。
高津柿本神社(島根県益田市)
人麻呂の終焉の地として最も有力視されているのが、石見国(現在の島根県西部)です。彼は晩年、石見の国司として赴任し、この地で亡くなったと伝えられています。
戸田柿本神社(島根県益田市)
同じ益田市の戸田町にある柿本神社。こちらは人麻呂生誕の地として建立されました。神社の近くには人麻呂の遺髪塚もあります。
最後に
「あしびきの」の歌に表れる、孤独な夜の寂しさ。これは千年以上前の歌人が感じた感情でありながら、現代を生きる私たちの心にも響くものがあります。大切な人と離れて過ごす夜の長さ、ひとりで迎える季節の移ろい。そうした経験は、時代が変わっても変わらぬ人間の姿なのでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp










