はじめに-三淵嘉子とはどんな人物だったのか

三淵嘉子(みぶち・よしこ)は、日本で初めての女性弁護士のひとりであり、のちに裁判官に転じて、女性初の裁判所所長を務めました。女性が法曹界で活躍する道を切り開いた三淵嘉子。実際にはどのような人物だったのでしょうか。史実をベースに紐解きます。

連続テレビ小説第110作『虎に翼』では、三淵嘉子をモデルにした猪爪寅子(いのつめともこ/演:伊藤沙莉)が、困難にぶつかりながらも、法律を使って子どもや女性たちを救っていく姿が爽快感たっぷりに描かれます。

三淵嘉子

目次
はじめに—三淵嘉子とはどんな人物だったのか
三淵嘉子が生きた時代
三淵嘉子の生涯と主な出来事
まとめ

三淵嘉子が生きた時代

三淵嘉子の生まれた大正3年(1914)は、第一次世界大戦勃発の年です。続く第二次世界大戦後は、男女平等が宣言され、さまざまな分野に女性が進出。男性圧倒的優位の世の中で、女性の自立の先駆けとなるべく奮闘します。やがて高度経済成長期を迎え、豊かになった反面、少年事件の増加が問題視されるようになりました。

三淵嘉子の生涯と主な出来事

三淵嘉子は、大正3年(1914)11月に生まれ、昭和59年(1984)に没しました。その生涯を主な出来事とともに辿ってみましょう。

父の思想に影響を受け法学の道を志す

三淵嘉子は、大正3年(1914)、台湾銀行勤務の武藤貞夫とノブの長女としてシンガポールに生まれます。貞夫は東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後、台湾銀行のシンガポール支店、ニューヨーク支店を経て、大正9年(1920)には東京支店勤務となり、一家は渋谷区で暮らすこととなりました。

女性は家庭に入ることが当たり前だった時代、貞夫はとても進歩的な人物で、「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな、男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ。それには何か専門の仕事をもつ為の勉強をしなさい。医者になるか、それとも弁護士はどうか」と諭していたといいます。

嘉子は父の思想に影響を受け、昭和7年(1932)女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学。女子部卒業後、明治大学法学部へ進学し、卒業生総代を務めました。そして昭和13年(1938)、中田正子(なかた・まさこ)、久米愛(くめ・あい)とともに司法試験に合格。昭和15年(1940)6月、弁護士登録(第二東京弁護士会所属)して、本格的に弁護士活動を始動させました。

戦争でシングルマザーに。戦後、判事を目指す。次ページに続きます

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