
スポーツ、音楽、アート、さまざまな分野で、日本を飛び出して世界で活躍する人たちの姿を見聞きする機会が増えてきました。オペラ界で抜きん出た輝きをみせているのが脇園彩さん。イタリア・ミラノを拠点に、文字通り世界を魅了するメゾソプラノです。
オペラ歌手を目指してイタリアに渡ったのが2013年。以来、研鑽を重ね、今やミラノ・スカラ座をはじめとする各国の名門歌劇場からのオファーが絶えないほどの人気を得ています。そんな脇園さんが5月25日から新国立劇場の舞台に立ちます。演目は彼女が愛してやまないロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』。演じるのはヒロイン、ロジーナ。オペラ・ファンの期待はいやがうえにも高まります。

嬉しいことに、そんな脇園さんが、多忙なスケジュールの合間を縫ってインタビューに応えてくれることに。イタリアのオペラ事情やお好きな旅のことなど、お話は多岐に及びます。気さくな素顔を垣間見ることができる言葉の数々は、オペラを縁遠く感じている方々の心にも届くことでしょう。そして、脇園さんが輝き続ける理由がわかるはず。ぜひ、お読みください!
脇園彩さんに5つの質問。ミラノに暮らし、世界を旅して見えてきたこと。
質問1 オペラの本場イタリアでは、みなさんオペラをどんなふうに楽しんでいらっしゃるのでしょう。
「オペラが伝統文化であるヨーロッパでも、例えば20年前などと比べれば、オペラを観るお客さまが減っています。各劇場はお客さまに足をお運びいただくために様々な工夫をするようになりました。
イタリアでは、小さな街にも素敵なオペラハウスがあったりして、地域密着型のサービスや催しを行っています。そうした劇場が最近は特に勢いがある印象があります。19世紀まで、オペラハウスは人と人を繋ぐ大切な社交場の役割を果たしていましたから、原点回帰の得策といったところでしょうか。
歌手としては舞台の音楽やパフォーマンスに感動してくだされば、これ以上嬉しいことはありませんが、お客さまにとっては、いつもはしないオシャレをして、日常を離れた空間で、幕間にお酒や軽食を楽しみながら、愛する人やお友達、新しく出会う方などと豊かな時間を共有することも、オペラに足を運ぶ醍醐味の一つなのではないかなと思います。もちろん、お一人で音楽や舞台を純粋に堪能なさる方もたくさんいらっしゃいます。
そして、イタリアは劇場ひとつひとつが、とても個性に溢れているんです。純粋に見た目が美しい劇場も多く、それを目にするだけでも価値があったりします」

質問2 2014年にミラノ・スカラ座でデビューを果たされて以来、イタリアを拠点に活動なさっています。肌で感じるイタリアと日本、それぞれの良さをお聞かせください。
「私は物心ついた時から、うっすらと、日本が自分の居場所ではないような感覚があったのを覚えています。それは良い悪いといった話ではなく、皆さんそれぞれ自然としっくりくる居場所をお持ちだと思うのですが、そういった感覚的なもので……。それが、イタリアに初めて観光客として降り立った瞬間、ようやく自分の探していた「居場所」を見つけた感じがしたのです。
日本人は集団で協力するのがとても上手ですよね。時には個を犠牲にすることも厭わないほど他を慮って尊重する。この「和」の精神はとても尊く、日本を離れてからその貴重さを実感し、大切にしているのですが、日本にいると私はその部分が行き過ぎてしまうところがあって辛かったのです。
イタリアは、ファシズム体制の失敗から学んだ教訓もあって、個を何よりも大切にします。統一国家としては若く、まだ200年も経っていないのですが、とても地理的に恵まれていて、肥沃な大地、降り注ぐ太陽、豊かな海、と何千年も前からヨーロッパ中の羨望を集める土地でした。イタリアに住む人々は、そんな豊かな自然の恵みを享受して、(ある視点から捉えれば無駄とも言われてしまう)「余白」や「ゆとり」を重視した生活を営むことができたのです。そんな土壌があって、イタリアにはルネッサンスのムーヴメントをはじめとする豊かなヒューマニズムが育っていきました。
そんなわけで現代のイタリア人たちも、人生を謳歌することがとても上手な民族だと感じています。仕事や社会、つまり「他」の前に、自分の人生をとても大切にする傾向が広く見られます。礼儀を守りながらも自分の意見はきちんと表明することが、むしろマナーですし、誰が何をしてもこちらに迷惑がかからなければ関係ない、というスタンスが割と普通です。同時にもちろん、自分の選択に全責任を負わなくてはなりません。
この、日本と正反対とも言える価値観が、私にはとても心地よく、これが、イタリアに住んでいて一番いいなと思うところかも知れません。
一方で、公共交通機関は頻繁に遅れたりキャンセルになったりしますし、お役所仕事は全く機能しないことが通常。問題が山積みでまとまりがなく、なぜ回っているのかよくわからないような国家なのですが(笑)、そんなこともひっくるめて、なぜかイタリアを愛してしまいました。
イタリアは、国というより、都市ごとに「おらが村」みたいなところがあるんです。大都市でもなんとなく地方感があるというか。それがまた味があって私は好きなのですが、ミラノはそんな中でも、イタリアの都市でありながら地理的にも精神的にもヨーロッパ全体に開かれた都市、という感じで、東京育ちの私にはバランスがしっくりきました。
そんなイタリアから日本に帰ると、公共交通機関はきちんと時間通りに動くし、お役所仕事もびっくりする速さで回っているし、街も美しく整えられているし、どこへ行ってもきちんと教育を受けられるし、人は礼に厚いし、日本にいた時には「当たり前」だと思っていたことが、実は素晴らしい財産だったのだな、ということに改めて気付かされます」

質問3 旅行がお好きとのこと。世界各国の劇場に招かれるなど、多忙な日々が続く中で、脇園さんは旅をどんな風に楽しんでいるのでしょう。併せて「日本を出発する一週間の大人の旅」におすすめの旅先があったら教えてください。
「仕事でいろんなところに行きました。稽古などで長く滞在できる時は、近くに面白そうな場所があれば休日に足を伸ばして旅を楽しんできました。
イタリアには20の州がありますが、17州は制覇しました。ヨーロッパは東欧・北欧に未踏の地が多いですが、主要な国々でいうと、ドイツ、フランス、スペイン、スイス、ベルギー、オーストリア、オランダには行きました。ヨーロッパ以外だと、オマーン、韓国、マレーシアにも行きました。どこへ行っても素晴らしい景観、人々、美味しい食べ物に出会えて、世界は広くて美しいし、旅はやはり素晴らしいなと思います。
「日本を出発する一週間の大人の旅」。おすすめの場所がありすぎて難しいですが、まずイタリアでしたら、あえてシチリア島を推したいと思います。
シチリアにはなんだか特別な縁を感じていて、お仕事でもプライベートでも何度も足を運んでいます。とにかく食べ物が美味しいのと、土地のエネルギーが素晴らしいです。地理的な理由から、太古の昔より複数の民族や文化が共存してきた歴史があるので、独特なエネルギーを持った地です。日本の「和」の精神にも共通するものを感じるので、日本人には馴染みやすいかも知れません。
ドイツはイタリアに比べると魅力のない土地だと失礼ながら思ってきたのですが(笑)、6月のライン川沿いの地域の美しさは息を呑むものがありました。ライン川下りのクルーズもたくさんあるようで、おすすめの時期は5〜6月です。その辺りはワインの特産地でもあって、ワイナリーもたくさん見かける、本当に風光明媚で食べ物も美味しいところです。
スペインもとても興味深い土地で、マドリード、ヴァレンシア、バルセロナ、セビリアなど主要都市ももちろん外せないのですが、私はあえて、ラ・コルーニャという、スペイン北西にある大西洋に面した街をおすすめします。
コルーニャはなんと言っても海が素晴らしく、外海なので波が大きくてサーフィンを楽しむ人も多かったです。陸の孤島感があるのですが、意外にも商業都市だそうで、とても豊かな街でした。手付かずの自然が素晴らしく、食べ物がとにかく美味しかったです。
実は、日本人のための大人の旅と言われて、真っ先に思いつくのがスイスなのです。物価は高いですが、治安や景観の点で、安全安心に慣れた日本人にも全く問題のない、おそらくヨーロッパでは唯一の国です。スイスの自然は本当に素晴らしく、世界観が変わります。山も湖も、美しさの次元がちょっと違います。イタリア国境を超えてすぐにあるルガーノなども素晴らしいのですが、ルツェルンやレマン湖周辺、そして何よりアルプスの山々は本当に壮大です。

そして、私個人の目下の目標は、イタリアではドロミーティという山間の手付かずの自然が残った素晴らしい地域に車で行くこと、それにトルコやアイスランド、北欧、アフリカのサファリ、モルディブの海、タイ、インドなどもとても惹かれています。仕事の合間に計画を立ててぜひ実現させたいです」
質問4 夢、そして、目指す未来に向かって一直線に歩んできたイメージがある脇園さんですが、今現在、胸の中にあるお気持ちをお聞かせください。
「これまで、夢を聞かれると、条件(どこで、誰と、何を、等)、もしくは物質的な豊かさを求めてきたのですが、ふと立ち止まってみて、本当に欲しかったのはそういった目に見えるものではなくて、「状態」だったことに気づきました。「愛されている感覚」「安心感」「穏やかな幸せ」……「何が起こってもどんな状況でも穏やかに幸せでいられること」であったと。
これまでは、事象をジャッジして感情で色付けしているのは私自身だったのですが、そのジャッジを無意識の内に他人や社会の価値観で行っていたせいで自分の中に不足感が生じていました。そこで今は、感情を自分から切り離して、浮かび上がってきた価値観を意識的に吟味して選別する練習をしています。
現代社会はあまりに情報が多すぎます。多くの情報が瞬時に手に入ると、自分に必要な価値観がわからなくなって当然です。自分が本当に望むものがわからないまま誰かの価値観に支配され、その欠乏感や焦燥感から行動すると、他人と競い合って何かを勝ち取らなくてはならないと思わされたり、衝突が起こったりしがちです。それが国家レベルに大きくなったものが戦争だと思います。
自然は適材適所で、そこにあるだけで完璧なバランスで機能するようになっています。本来、人間もそうであると私は信じています。みんなそれぞれ違うからこそ、それぞれの真の望みを追求すれば、それが完全な調和を持って機能するように出来ていると思うのです。
私の理想は、一人ひとりが心から生きる歓びを追求し続けられる世界です。違いを尊重して、互いに補い合い共有し合いながら、誰も犠牲にすることなく、穏やかで幸せに共存する世界です。その世界を目指して、まずは私から、真の望みを自分に常に問うて穏やかな幸せの中に生き、一人でも多くの方が穏やかな幸せと歓びの中で生きられるように、そのためのヒントを微力ながら世界に広めていければ良いなと思っています」

質問5 最後の質問になります。世界のロジーナ歌いと言われる脇園さんが、再び新国立劇場の舞台に立つ日が近づいています。ファンは心待ちにしていますが、今回はどんな思いをもって『セビリアの理髪師』の舞台にお立ちになるのでしょう。
「『セビリアの理髪師』の作曲家ロッシーニには、とても縁を感じています。彼の作品を歌うことで、人生の節目節目に、キャリアだけでなく人間としても導かれた感覚があります。ロッシーニの音楽は、とても悲劇的な状況になったとしても決して没入することがなく、視点がとても高いのです。そして音楽に、生きる歓びそのもののようなエネルギーがあるのです。彼の音楽は、歌っても聴いても、身体の奥の方から生命力を呼び覚まされるような不思議な感覚があります。
ロッシーニの作品の中でも世界で最も上演回数が多いのが、この『セビリアの理髪師』なのですが、彼がとても気合を入れて書いた渾身の一作というわけではなく、恐らく仕事の一つとして短期間で仕上げたものです。だからこそなのか、とてもよくまとまっていて、アリアや重唱も名曲が次から次に展開され、筋も分かりやすくて、楽しんでいるうちにあっという間に終わってしまうような、200年以上経った今でも多くの人に愛される傑作です。
ヒロインのロジーナという役は、キャリアの最初から私のターニングポイントに必ず一緒にいてくれた役です。2015年にスカラ座でこの役をデビューして今年で10年。毎回演じるたびに「今回が最後になるかもしれない」と思いながらやっていますが、不思議と絶妙なタイミングでまたオファーが来てくれて、歌うたびに新たな発見をくれる役です。
コロナ禍に入る直前の2020年2月に新国立劇場で歌ったのが、このロジーナでした。その後、長く仕事が止まった後、コロナが完全終息する前のイタリアで少しずつ劇場が開き始めた2020年の11月、復帰プロダクションとして舞台に立ったのが『セビリアの理髪師』。ロッシーニの生地ペーザロでの公演でした。そんなこともあり、今回、再びロジーナを新国立劇場の舞台で歌うことは、とても感慨深くなることと予測しています。

長年ファンだったローレンス・ブラウンリーさん(アルマヴィーヴァ伯爵役)や、オペラの世界でキャリアを積んでいくうえでロールモデルにしている方である加納悦子さん(ベルタ役)など、ご一緒するのは、実力があるからこそ息の長い活躍をなさっている尊敬する先輩ばかり。素晴らしい舞台になることを確信しています」
脇園 彩(わきぞの・あや)/メゾソプラノ。東京都生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修了。2013年文化庁派遣芸術家在外研修員としてパルマ国立音楽院に留学。ペーザロのロッシーニ・アカデミー及びミラノ・スカラ座アカデミー修了。ミラノ・スカラ座をはじめ、パレルモ・マッシモ劇場、ベルギー王立ワロン歌劇場、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルなどに多数出演。日本では17年藤原歌劇団『セビリアの理髪師』ロジーナでオペラデビュー。23年、ファーストアルバム「アモーレAmore」 (BRAVO RECORDS)がリリース。新国立劇場へは19年『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラでデビューし、20年『セビリアの理髪師』ロジーナ、21年『フィガロの結婚』ケルビーノ、『チェネレントラ』タイトルロール、23年『ファルスタッフ』ページ夫人メグに出演し喝采を浴びた。

痛快で愉快な恋物語が繰り広げられるラブ・コメディ『セビリアの理髪師』はオペラ初心者にこそおすすめ!
イタリアの天才作曲家ロッシーニ随一の人気作『セビリアの理髪師』。原作はフランスの劇作家ボーマルシェが18世紀後半に書いた同名戯曲ですが、今公演のヨーゼフ・E.ケップリンガーによる演出では、設定がフランコ政権下の1960年代のスペイン。脇園さんをはじめベルカント(喜歌劇)の名手たちが集結する舞台に期待が高まります。

あらすじ
アルマヴィーヴァ伯爵は町一番の美人ロジーナに一目惚れ。しかし、ロジーナの相続した莫大な遺産目当ての後見人バルトロのせいで、ロジーナにはアプローチすらできない。そこで伯爵は、散髪から身の上相談、恋の仲介、手紙の代筆まで、お金のためなら何でもする町の便利屋フィガロに助けを求める。フィガロはあの手この手でバルトロ家に侵入し、なんとか伯爵の想いはロジーナに伝えられるものの、行き違いが起こって事態は破綻寸前。が、フィガロの機転でピンチを脱し、急転直下のハッピーエンドで幕となる。
新国立劇場 2024/2025 シーズン オペラ
ジョアキーノ・ロッシーニ『セビリアの理髪師』 全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
公演日 2025年5月25日〜6月3日
会場 新国立劇場 オペラパレス
■新国立劇場オペラサイト
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/ilbarbieredisiviglia/
■問い合わせ 電話:03・5352・9999(ボックスオフィス)
新国立劇場 舞台写真撮影/寺司正彦
構成・文/堀けいこ