蔦屋重三郎との出会いと狂歌絵本
天明年間に入り、「歌麿(うたまろ)」と名乗るようになった頃、彼の才能を見抜いたのが版元・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)でした。洒落本や黄表紙など革新的な出版を手がけていた蔦屋は、歌麿を専属絵師の形で狂歌絵本や美人錦絵などを世に送り出し、頭角をあらわしました。

『画本虫撰(えほんむしえらみ)』(1788)、『潮干(しおひ)のつと』(1789)、『百千鳥(ももちどり)』(1790)といった狂歌絵本三部作は、繊細な自然描写と多色摺の技巧が融合した優れた作品として高く評価されました。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1288345

https://dl.ndl.go.jp/pid/8943229
【美人画の革新者として頭角を現す。次ページに続きます】
