はじめに-知保の方とはどのような人物だったのか
知保の方(ちほのかた)は、十代将軍・徳川家治(いえはる)の側室です。知保の方は、のちに「幻の十一代将軍」と呼ばれる徳川家基(いえもと)の母でもあります。歴史の表舞台に立つことは少なかったものの、知保の方の存在は幕府の継承問題と深く結びついていました。
そんな知保の方ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、幻の十一代将軍の母(演:高梨臨)として描かれます。

目次
はじめに-知保の方とはどのような人物だったのか
知保の方が生きた時代
知保の方の生涯と主な出来事
まとめ
知保の方が生きた時代
知保の方が生きた時代は、安定した政治基盤のもとで文化的にも成熟を見せていた時期でしたが、将軍家における後継問題は常に重大な関心事でした。なかでも十代将軍・家治は正室・倫子との間に子がなかなか生まれず、その行く末を案じた側近たちの動きが、知保の方の運命を大きく動かすこととなったのです。
知保の方の生涯と主な出来事
知保の方は元文2年(1737)11月15日に生まれ、寛政3年(1791)3月8日に没しました。残されている少ない資料からその生涯を紐解いていきましょう。
側室となった経緯
知保の方(智保の方とも書く)は、津田宇右衛門信成の娘とされ、伊奈忠宥(いな・ただおき)の養女として育てられました。一説には貧しい家の出身ともいわれています。
宝暦11年(1761)、徳川家治に仕える中臈(ちゅうろう、大奥の女中のこと)として大奥に上がり、翌年の宝暦12年(1762)に男子を出産します。この子こそが、後に「幻の十一代将軍」と呼ばれる徳川家基です。
将軍家治は当初、側室を持つことに消極的でした。しかし、家治の乳母・松島と老中・田沼意次の働きかけにより、ようやく側室を迎える決断を下します。家治が「意次が側室を持つなら、自分も持とう」と語ったという逸話は、彼の真面目な性格を象徴しているようです。
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